マグナム・フォト - 再び、中南米での活動とは? わかりやすく解説

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マグナム・フォト - 再び、中南米での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 18:10 UTC 版)

ジゼル・フロイント」の記事における「マグナム・フォト - 再び、中南米での活動」の解説

アルゼンチンではさらにシャルル・ド・ゴール自由フランス政府情報省からの依頼南米情勢について取材し1946年パリ戻った後、南米芸術展を開催した次いで人類博物館からの依頼で再び南米向かいパタゴニアアルゼンチンおよびチリコロラド川以南地域)、ティエラ・デル・フエゴ南米最南端)で人々暮らし風景カメラ収めた1947年ロバート・キャパアンリ・カルティエ=ブレッソンジョージ・ロジャーデヴィッド・シーモアによりマグナム・フォト結成されると、キャパ誘われて会員になったマグナム初の女性写真家であったマグナム専属報道写真家として米国、カナダ中米エクアドルペルーボリヴィアブラジルアルゼンチンメキシコ取材したメキシコ滞在2週間予定であったが、ラテン・アメリカに魅せられ、さらにフリーダ・カーロディエゴ・リヴェラ出会ったため、2年間にわたってフリーダと彼女を取り巻世界写真撮り続けることになった。このときの写真は、2013年現代出版資料研究所とアルバン・ミシェル(フランス語版)の共編で『フリーダ・カーロ写真集として出版された。 1950年アルゼンチンフアン・ペロン大統領夫人エヴァ・ペロン日常生活カメラ収め、『ライフ』誌に発表した被写体素顔捉えるのがフロイントの得意とするところであったが、大統領夫妻このような写真が気に入らずこれ見よがしで恥かしい」と批判した挙句はこの『ライフ』誌がアルゼンチン没収され、フロイントは出国余儀なくされた。

※この「マグナム・フォト - 再び、中南米での活動」の解説は、「ジゼル・フロイント」の解説の一部です。
「マグナム・フォト - 再び、中南米での活動」を含む「ジゼル・フロイント」の記事については、「ジゼル・フロイント」の概要を参照ください。

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