ボーランド
ボーランド
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ボーランド (Borland、Borland International、Inprise Corporation、Borland Software Corporation) は、かつて存在した開発プロセス用ツールなどのソフトウェアの開発・販売会社である。
- ^ PC Watch (1997年5月12日). “後藤弘茂のWeekly海外ニュース”. 2021年5月20日閲覧。
- ^ “米Borland、INPRISEに社名変更”. PC Watch (1998年4月30日). 2012年8月30日閲覧。
- ^ 「米Borlandが社名をInpriseに変更 “エンタプライズ志向”を鮮明に」『日経ソフトウエア(1998/7)』第1巻第1号、日経BP、1998年6月24日、 9頁。
- ^ 日経BP (1999年6月9日). “USNews Microsoft、かつてのライバルInpriseに資本参加”. 2009年8月4日閲覧。
- ^ 日経BP (2000年2月9日). “米Inprise/BorlandとカナダCorelが合併、Linuxソフトウエアの一大勢力となるか?”. 2009年8月4日閲覧。
- ^ IT Pro (2001年11月16日). “やはり「Borland」ブランドは強い?─米InpriseがBorland Softwareに社名変更”. 2009年8月4日閲覧。
- ^ IT Pro (2002年10月31日). “米Borlandがソフトウエア開発ソリューションの米TogetherSoftを1億8500万ドルで買収”. 2009年8月4日閲覧。
- ^ IT Pro (2002年10月10日). “米ボーランド,ソフトウエア管理技術の米スターベースを約2400万ドルで買収”. 2009年8月4日閲覧。
- ^ IT Pro (2006年2月9日). “米Borlandが米Segueを買収,IDE事業を売却予定でALMに本腰”. 2009年8月4日閲覧。
- ^ ボーランド (2006年2月15日). “ボーランド、ソフトウェア品質ソリューションを提供するSegue Software社の買収、ならびにIDE製品ラインの売却計画を発表”. 2006年8月2日閲覧。
- ^ Borland (2007年4月16日). “Borland to Relocate Corporate Headquarters to Austin”. 2007年5月21日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2009年1月29日閲覧。
- ^ Hitoshi Fujii (2008年5月7日). “コミュニティレター:エンバカデロ・テクノロジーズがCodeGearを買収”. 2008年7月7日閲覧。
- ^ Hitoshi Fujii (2008年7月1日). “Embarcadero Technologies®がCodeGear™の買収の完了を発表”. 2008年7月7日閲覧。
- ^ Borland Software Corporation to be Acquired by Micro Focus International plc - Press Releases
- ^ IT Pro (2009年5月7日). “Borland,約7500万ドルでMicro Focusに身売り”. 2009年8月4日閲覧。
- ^ “マイクロフォーカス株式会社、日本におけるボーランドビジネスの統合について発表”. マイクロソフトフォーカス (2010年2月9日). 2010年4月12日閲覧。
- 1 ボーランドとは
- 2 ボーランドの概要
- 3 歴史
- 4 販売中のALM製品
ボーランド
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「Windows API」の記事における「ボーランド」の解説
Object Windows Library (OWL) MFCと同時期に公開され、よりオブジェクト指向に作られたラッパー。 Visual Component Library (VCL) ボーランドがその後に作ったDelphiによるラッパー。 .NET FrameworkにもWindows APIをラップした部分が存在する。
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「ボーランド」を含む「Windows API」の記事については、「Windows API」の概要を参照ください。
ボーランド (1982-1995)
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「フィリップ・カーン」の記事における「ボーランド (1982-1995)」の解説
1982年、旅行者としてカーンはアメリカ合衆国に行き、そこでヒューレット・パッカードに就職したが、不法滞在であるとして解雇された。コンサルタントとして働きながら、ボーランドインターナショナルを設立した。その時はまだアメリカ合衆国の居住権を得ていなかった。 ツーリストビザで四年を過ごした後1986年に永住権を手に入れた。カーンは現在ではアメリカ合衆国に帰化している。 ボーランドの最初のヒット商品はTurbo Pascalだった。インテルx86用の言語処理系をこれまでにないほど手広く開発し、オフィス製品も同様に生み出した。これはマイクロソフトとロータスに正面からぶつかるもので、初めのうちは大きな利益を生み、ボーランドはカリフォルニアのスコッツバレーに広大な敷地を手に入れたが、マイクロソフトの反撃は厳しかった。ボーランドのオフィス製品は敗退し、この市場からの撤退を余儀なくされたが、それでも滅んだわけではなかった。 ボーランドは当時のマイクロソフトと戦い、現在でも栄えている数少ないメーカの一つである。12年間社長、CEOとしてボーランドを率い、ベンチャーキャピタルなしに全くの無から年商5億米ドルの企業に育てたカーンであるが、会社の方針をどこに絞るかについて取締役会と対立することになった。1995年1月カーンはCEOの座を追われた。しかしながら、1996年11月に辞職するまで取締役としてとどまった。
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