ホセ・エルナンデスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 作家 > 詩人 > 詩人 > ホセ・エルナンデスの意味・解説 

ホセ・エルナンデス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 16:15 UTC 版)

ホセ・エルナンデス
José Hernández
誕生 1834年11月10日
アルゼンチンブエノスアイレス州
死没 (1886-10-21) 1886年10月21日(51歳没)
アルゼンチン、ベルグラーノ近郊
職業 詩人ジャーナリスト軍人政治家
国籍 アルゼンチン
代表作 『エル・ガウチョ・マルティン・フィエロ』、『マルティン・フィエロの帰還』
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

ホセ・エルナンデスJosé Hernández1834年11月10日 - 1886年10月21日)は、アルゼンチン詩人ジャーナリスト軍人政治家である。ガウチョの生活風景を歌った詩文にして、ガウチョ文学英語版の最高峰、「アルゼンチンの聖書」とも呼ばれ、アルゼンチンの国民文学と称される『マルティン・フィエロ英語版』(Martín Fierro)の著者として知られる。

生涯

スペインアイルランドフランスの血を引くエルナンデスは、1834年11月10日、ブエノスアイレス州大農場に生まれる。その日付により、何年も経って、伝統の日のお祝いが定められることになりました。 彼はドン・ラファエル・エルナンデスとドニャ・イザベル・プエイレドンの息子でした。アルゼンチン、ウルグアイの内戦への参加、新聞記者を経て、新聞「エル・リオ・デ・ラ・プラタ」紙を設立。ガウチョ社会保護と、ホセ・ヘルバシオ・アルティーガス英語版連邦同盟の流れを引く連邦派の観点から、地方自治を基盤とした連邦共和制を訴える。また、最新のヨーロッパ文化の導入を進める一方、伝統的なガウチョ文化に否定的だった時の大統領ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント英語版の政策を批判する記事を多数書き、さらには反乱軍を組織したため、弾圧されブラジルへ亡命する。

1872年に社会的弱者であるガウチョの視点、ガウチョが語る形式で『エル・ガウチョ・マルティン・フィエロ』を執筆。その後、ウルグアイで亡命し、サルミエントの影響力が弱まった後の1875年にアルゼンチンに帰国。1879年には『マルティン・フィエロの帰還』が出版された。帰国後は上院議員としても活躍する。1886年10月21日に心臓病で死去。51歳[1]

作品

  • Vida del Chacho (1863年)
  • Los treinta y tres orientales (1867年)
  • El Gaucho Martín Fierroスペイン語版 (1872年)
    • ホセ・エルナンデス/大林文彦、玉井礼一郎訳『マルティン・フィエロ パンパスの吟遊ガウチョ』たまいらぼ、1981年4月。
  • La vuelta de Martín Fierroスペイン語版 (1879年)
  • Instrucción del Estanciero (1881年)[2]

脚注





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ホセ・エルナンデス」の関連用語

ホセ・エルナンデスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ホセ・エルナンデスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのホセ・エルナンデス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS