ペトロの手紙二
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『ペトロの手紙二』(ペトロのてがみに)は新約聖書正典中の公同書簡に分類されている一書で、伝承上は使徒のペトロ(ペテロ、ペトル)に帰せられている手紙の一つである。偽教師の誤った教えを攻撃しつつ、キリストの再臨が必ずあることを説く。いわゆる「終末の遅延」の問題を扱っている文書である。
注釈
- ^ 第一ペトロ書自体、しばしば偽名書簡の疑いを向けられている(日本聖書協会 2004, p. 24 ; G・タイセン 2003, p. 206 etc.)。
- ^ 上村静も、正統派の権威付けとして必要とされたものであって、正典化は読者を騙しおおせた結果ではないとしている(上村 2011, p. 306)。
- ^ 60年代前半のエルサレム教会では指導的地位にあった主の兄弟ヤコブが処刑され、ほぼ同時期のネロの在位と重なる頃のローマではペトロとパウロが殉教したと考えられており、指導的人物が相次いで姿を消していた(加藤 1999, pp. 151–152)。
- ^ エジプト説の根拠は、エジプトの成立が想定される『ペトロの黙示録』がこれを利用していることによる(速水 1991, p. 433)。
- ^ この部分を「シメオン」とするのは、シナイ写本、アレクサンドリア写本など(倉沢 2008, p. 1815)。
- ^ 後掲のように口語訳聖書はバラムを「ベオルの子」としている。これは『民数記』22章5節、『ヨシュア記』13章22節に照らせば正しい。しかし、第二ペトロ書のこの箇所がベオルになっているのは主要な写本ではバチカン写本のみで、大多数の写本は「ボソルの子」としており、新共同訳聖書も「ボソル」を採用している(辻 2000, p. 702)。そちらが本来の読みだったと考えられるが、「ボソル」という表記が何に依拠したものかは不明である(田川 2015, pp. 370–371)。説明の例としては、(ペトロの真筆と見る立場から)ペトロのガリラヤ訛りが出たとか、ヘブライ語の「肉」(バーサール)に掛けたものなどの説がある(宮平 2015, p. 252)。
- ^ 3章2・3節とユダ書17・18節も並行している(速水 1991, p. 475)。
- ^ もっとも、第二ペトロ書にも、エノク書などから採られていると推測されている題材は含まれている(ヨハネス・シュナイダー 1975, pp. 244–245 ; レジス・ビュルネ 2005, pp. 124–125)。
- ^ 『マタイによる福音書』24章43節、『ルカによる福音書』12章39節、『テサロニケの信徒への手紙一』5章2節、『ヨハネの黙示録』16章15節(日本聖書協会 2004, p. 439(新))。
- ^ 引用した口語訳聖書で「熱心に待ち望んでいる」となっている箇所は、新共同訳聖書をはじめ、しばしば「早める」と訳されている。これは写本の違いとして説明されることもあるが(日本聖書協会 2004, p. 440(新))、むしろ原語に二通りの意味があることから説明され、本来的意味は「早める」 の方とされる(小林 1996, p. 177 ; 速水 1991, p. 442)。
- ^ バルバロやフランシスコ会聖書研究所の注解では、議論のある書物であることを認めつつも、正典性を認めるものであったとされている(フェデリコ・バルバロ 1967, p. 175 ; フランシスコ会聖書研究所 1970, pp. 76–77)。
- ^ カルヴァンが否定したのはペトロ自身によって書かれたという点であって、正典性までは否定していない(ジャン・カルヴァン 1963, pp. 145–147)。
出典
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- ^ フランシスコ会聖書研究所 1970, pp. 82–94
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- ^ 小林 1996, p. 167。岩波委員会訳については小見出しではなく「内容構成」を利用している。
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- ^ 上村 2011, p. 305(ユダ書の罵詈雑言と同様、という形で言及)
- ^ 日本聖書協会 2004, pp. 436-439(新)
- ^ 速水 1991, p. 437
- ^ s:ペテロの第二の手紙(口語訳)
- ^ s:ユダの手紙(口語訳)
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- ^ s:詩篇(口語訳)による。
- ^ 倉沢 2008, p. 1821
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- ^ W・マルクスセン 1984, p. 425
- ^ 小林 1996, p. 354
- ^ 小林 2004, pp. 143–145。類似の指摘は小林 2003, p. 391にも。
- ^ 五島勉『ノストラダムスの大予言 最終解答編』祥伝社、1998年、pp.157-159
- ^ a b 浅見 1999, pp. 60–61
- 1 ペトロの手紙二とは
- 2 ペトロの手紙二の概要
- 3 概要
- 4 成立地
- 5 現代における受容
- 6 脚注
- ペトロの手紙二のページへのリンク