ペトロの手紙二とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ペトロの手紙二の意味・解説 

ペトロの手紙二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 06:35 UTC 版)

ペトロの手紙二』(ペトロのてがみに)は新約聖書正典中の公同書簡に分類されている一書で、伝承上は使徒ペトロ(ペテロ、ペトル)に帰せられている手紙の一つである。偽教師の誤った教えを攻撃しつつ、キリスト再臨が必ずあることを説く。いわゆる「終末の遅延」の問題を扱っている文書である。


注釈

  1. ^ 第一ペトロ書自体、しばしば偽名書簡の疑いを向けられている(日本聖書協会 2004, p. 24 ; G・タイセン 2003, p. 206 etc.)。
  2. ^ 上村静も、正統派の権威付けとして必要とされたものであって、正典化は読者を騙しおおせた結果ではないとしている(上村 2011, p. 306)。
  3. ^ 60年代前半のエルサレム教会では指導的地位にあった主の兄弟ヤコブが処刑され、ほぼ同時期のネロの在位と重なる頃のローマではペトロとパウロが殉教したと考えられており、指導的人物が相次いで姿を消していた(加藤 1999, pp. 151–152)。
  4. ^ エジプト説の根拠は、エジプトの成立が想定される『ペトロの黙示録』がこれを利用していることによる(速水 1991, p. 433)。
  5. ^ この部分を「シメオン」とするのは、シナイ写本アレクサンドリア写本など(倉沢 2008, p. 1815)。
  6. ^ 後掲のように口語訳聖書はバラムを「ベオルの子」としている。これは『民数記』22章5節、『ヨシュア記』13章22節に照らせば正しい。しかし、第二ペトロ書のこの箇所がベオルになっているのは主要な写本ではバチカン写本のみで、大多数の写本は「ボソルの子」としており、新共同訳聖書も「ボソル」を採用している(辻 2000, p. 702)。そちらが本来の読みだったと考えられるが、「ボソル」という表記が何に依拠したものかは不明である(田川 2015, pp. 370–371)。説明の例としては、(ペトロの真筆と見る立場から)ペトロのガリラヤ訛りが出たとか、ヘブライ語の「肉」(バーサール)に掛けたものなどの説がある(宮平 2015, p. 252)。
  7. ^ 3章2・3節とユダ書17・18節も並行している(速水 1991, p. 475)。
  8. ^ もっとも、第二ペトロ書にも、エノク書などから採られていると推測されている題材は含まれている(ヨハネス・シュナイダー 1975, pp. 244–245 ; レジス・ビュルネ 2005, pp. 124–125)。
  9. ^ マタイによる福音書』24章43節、『ルカによる福音書』12章39節、『テサロニケの信徒への手紙一』5章2節、『ヨハネの黙示録』16章15節(日本聖書協会 2004, p. 439(新))。
  10. ^ 引用した口語訳聖書で「熱心に待ち望んでいる」となっている箇所は、新共同訳聖書をはじめ、しばしば「早める」と訳されている。これは写本の違いとして説明されることもあるが(日本聖書協会 2004, p. 440(新))、むしろ原語に二通りの意味があることから説明され、本来的意味は「早める」 の方とされる(小林 1996, p. 177 ; 速水 1991, p. 442)。
  11. ^ バルバロやフランシスコ会聖書研究所の注解では、議論のある書物であることを認めつつも、正典性を認めるものであったとされている(フェデリコ・バルバロ 1967, p. 175 ; フランシスコ会聖書研究所 1970, pp. 76–77)。
  12. ^ カルヴァンが否定したのはペトロ自身によって書かれたという点であって、正典性までは否定していない(ジャン・カルヴァン 1963, pp. 145–147)。

出典

  1. ^ 前田 1956, p. 365
  2. ^ ヨハネス・シュナイダー 1975, p. 224
  3. ^ 川村 1981, pp. 422–423
  4. ^ a b c 日本聖書協会 2004, p. 25
  5. ^ 小林 1996, pp. 349–350
  6. ^ 小林 2003, pp. 386–387
  7. ^ a b c 速水 1991, p. 433
  8. ^ レジス・ビュルネ 2005, p. 123
  9. ^ 前田 1956, pp. 363–364
  10. ^ a b c d e f 山口 1998, p. 536
  11. ^ a b c d e 倉沢 2008, pp. 1813
  12. ^ 前田 1956, p. 362
  13. ^ 倉沢 2008, pp. 1813–1814
  14. ^ フェデリコ・バルバロ 1967, p. 174
  15. ^ 辻 2006
  16. ^ G・タイセン 2003, p. 212
  17. ^ a b フェデリコ・バルバロ 1975, p. 622
  18. ^ a b c d いのちのことば社出版部(翻訳) 2011, p. 2109
  19. ^ 尾山 1964, p. 288
  20. ^ 小林 1996, p. 350
  21. ^ フランシスコ会聖書研究所 1970, pp. 75–76
  22. ^ 小林 1996, p. 351
  23. ^ 辻 2000, pp. 698, 703–704
  24. ^ 倉沢 2008, pp. 1820–1821
  25. ^ 田川 2015, pp. 376–378
  26. ^ 小林 2003, p. 388
  27. ^ ヨハネス・シュナイダー 1975, p. 223
  28. ^ W・マルクスセン 1984, p. 424
  29. ^ フェデリコ・バルバロ 1967, p. 171
  30. ^ a b 小林 1996, p. 351
  31. ^ a b 辻 2000, p. 698
  32. ^ a b W・マルクスセン 1984, p. 427
  33. ^ 秋山 2005, p. 402
  34. ^ フランシスコ会聖書研究所 1970, p. 75
  35. ^ 宮本 1992, p. 738
  36. ^ 木田 et al. 1995, pp. 465–466
  37. ^ a b 川村 1981, p. 422
  38. ^ 前田 1956, p. 364
  39. ^ a b 倉沢 2008, p. 1814
  40. ^ 小林 2003, p. 386
  41. ^ ヨハネス・シュナイダー 1975, p. 221
  42. ^ a b 辻 2006, p. 21
  43. ^ 川村 1981, pp. 423–424
  44. ^ 小林 1996, pp. 353–354
  45. ^ a b ヨハネス・シュナイダー 1975, pp. 225, 262
  46. ^ 日本聖書協会 2004, pp. 436-440(新)
  47. ^ フランシスコ会聖書研究所 1970, pp. 82–94
  48. ^ 新日本聖書刊行会 2004, pp. 418–421
  49. ^ 小林 1996, p. 167。岩波委員会訳については小見出しではなく「内容構成」を利用している。
  50. ^ a b 辻 2000, p. 699
  51. ^ a b 倉沢 2008, p. 1815
  52. ^ ヨハネス・シュナイダー 1975, pp. 237–238
  53. ^ a b フランシスコ会聖書研究所 1970, p. 79
  54. ^ 辻 2000, pp. 699–700
  55. ^ 倉沢 2008, p. 1817
  56. ^ 辻 2000, p. 700
  57. ^ W・マルクスセン 1984, pp. 424–425
  58. ^ a b 倉沢 2008, p. 1818
  59. ^ 小林 1996, p. 353
  60. ^ 上村 2011, p. 305(ユダ書の罵詈雑言と同様、という形で言及)
  61. ^ 日本聖書協会 2004, pp. 436-439(新)
  62. ^ 速水 1991, p. 437
  63. ^ s:ペテロの第二の手紙(口語訳)
  64. ^ s:ユダの手紙(口語訳)
  65. ^ 速水 1991, p. 475
  66. ^ フランシスコ会聖書研究所 1970, pp. 78–79
  67. ^ a b 小林 1996, p. 352
  68. ^ 小林 2003, p. 389
  69. ^ 田川 2015, pp. 349–352
  70. ^ W・マルクスセン 1984, p. 422
  71. ^ a b ギュンター・ボルンカム 1972, p. 208
  72. ^ 辻 2000, pp. 701–702
  73. ^ レジス・ビュルネ 2005, p. 124
  74. ^ G・タイセン 2011, pp. 211–212
  75. ^ フランシスコ会聖書研究所 1970, p. 75
  76. ^ ヨハネス・シュナイダー 1975, p. 225
  77. ^ 辻 2000, p. 703
  78. ^ s:詩篇(口語訳)による。
  79. ^ 倉沢 2008, p. 1821
  80. ^ a b 川村 1981, p. 424
  81. ^ 荒井 1988, p. 53
  82. ^ a b 辻 2000, p. 705
  83. ^ フランシスコ会聖書研究所 1970, p. 94
  84. ^ 倉沢 2008, p. 1822
  85. ^ 宮平 2015, p. 267
  86. ^ 速水 1991, p. 443
  87. ^ フェデリコ・バルバロ 1967, pp. 203–204
  88. ^ いのちのことば社出版部(翻訳) 2011, p. 2114
  89. ^ フェデリコ・バルバロ 1967, p. 204
  90. ^ 田川 2015, pp. 385–392
  91. ^ 前田 1956, p. 363
  92. ^ a b c 小林 1996, p. 354
  93. ^ W・マルクスセン 1984, pp. 423–425
  94. ^ G・タイセン 2003, pp. 211–212
  95. ^ 上村 2011, p. 306
  96. ^ a b c 倉沢 2008, p. 1812
  97. ^ 加藤 1999, pp. 221–222
  98. ^ 田川 1997, pp. 144, 153
  99. ^ 加藤 1999, pp. 250–251
  100. ^ 田川 1997, p. 157
  101. ^ 加藤 1999, p. 252
  102. ^ a b フェデリコ・バルバロ 1967, p. 175
  103. ^ a b c d 速水 1991, p. 432
  104. ^ 加藤 1999, p. 253
  105. ^ a b ヨハネス・シュナイダー 1975, p. 222
  106. ^ a b 加藤 1999, p. 273
  107. ^ a b フランシスコ会聖書研究所 1970, pp. 76–77
  108. ^ 加藤 1999, p. 274
  109. ^ レジス・ビュルネ 2005, p. 137
  110. ^ 山口 1998, p. 537 ; いのちのことば社出版部(翻訳) 2011
  111. ^ 櫛田 1983, p. 84
  112. ^ W・マルクスセン 1984, p. 426
  113. ^ 塚本虎二訳新約聖書刊行会 2012, p. 997
  114. ^ 小塩 1955, p. 154
  115. ^ W・マルクスセン 1984, p. 425
  116. ^ 小林 1996, p. 354
  117. ^ 小林 2004, pp. 143–145。類似の指摘は小林 2003, p. 391にも。
  118. ^ 五島勉『ノストラダムスの大予言 最終解答編』祥伝社、1998年、pp.157-159
  119. ^ a b 浅見 1999, pp. 60–61


「ペトロの手紙二」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ペトロの手紙二」の関連用語

ペトロの手紙二のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ペトロの手紙二のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのペトロの手紙二 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS