ヘーラクレイダイ
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ヘーラクレイダイ(古希: Ἡρακλεῖδαι, Hērakleidai)は、ギリシア神話の英雄ヘーラクレースの子孫である。長母音を省略してヘラクレイダイとも表記される。
注釈
脚注
- ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』「アイギミオス」の項、p.4b-5a。
- ^ トゥーキューディデース『歴史』1巻12・3。
- ^ パウサニアス、4巻3・3。
- ^ 1974年版『ブリタニカ国際大百科事典』14巻「ドーリス人」の項、p.665〜666。
- ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』「ヘーラクレイダイ」の項、p.235a
- ^ エウリーピデース『ヘーラクレイダイ』。
- ^ アポロドーロス、2巻8・1。
- ^ a b c d アポロドーロス、2巻8・2。
- ^ ヘロドトス、9巻26。
- ^ パウサニアス、8巻5・2。
- ^ 『イーリアス』5巻ほか。
- ^ 高津『辞典』、p.117b。
- ^ パウサニアス、3巻1・6。
- ^ パウサニアス、3巻13・4。
- ^ a b アポロドーロス、2巻8・3。
- ^ パウサニアス、5巻3・6。
- ^ パウサニアス、2巻18・9。
- ^ a b アポロドーロス、2巻8・4。
- ^ パウサニアス、2巻19・1。
- ^ パウサニアス、2巻28・3-28・6。
- ^ パウサニアス、2巻19・2。
- ^ a b ヒュギーヌス、137話。
- ^ パウサニアス、4巻3・8-4・1。
- ^ パウサニアス、4巻4・4。
- ^ ヒュギーヌス、219話。
- ^ アポロドーロス、2巻7・6。
- ^ シケリアのディオドロス、4巻29・1-29・6。
- ^ シケリアのディオドロス、5巻15・1-15・2。
- ^ パウサニアス、7巻2・2。
- ^ パウサニアス、9巻23・1。
- ^ パウサニアス、10巻17・5。
- ^ シケリアのディオドロス、5巻15・6。
- ^ パウサニアス、8巻5・1。
- ^ アポロドーロス、2巻7・8。
- ^ ヘロドトス、1巻7-1巻26。
- 1 ヘーラクレイダイとは
- 2 ヘーラクレイダイの概要
- 3 神話
- 4 系譜
- 5 文学作品
- 6 参考文献
ヘーラクレイダイ
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ヘーラクレースの子孫たちは、ヘーラクレイダイと呼ばれた。 ヘーラクレースの死後、その子供たちがミュケーナイの王位を望むことを恐れたエウリュステウスは、ヒュロスらを殺そうとして追い回した。アルクメーネーとヒュロスらは、アテーナイのデーモポーンに助けられた。エウリュステウスはヒュロスらの身の受け渡しを要求し、それに応じないアテーナイと戦った。この戦争の中でヒュロスはエウリュステウスの子をすべて討ち取り、エウリュステウスは捕らわれて殺された。 ヒュロスたちはエウリュステウスとの戦争に勝ったが、故郷であるペロポネソス半島に未だに戻れずにいた。しかし、ヒュロスの孫たちはミケーネやアルゴスを打ち破り、遂にペロポネソス半島へと帰還することができた。その際、テーメノスがアルゴスを、アリストデーモスがスパルタを、クレスポンテースがメッセニアを支配することになった。この内、テーメノスの子供であるペルディッカスは、アルゴスの王位継承争いに敗れて追放され、ギリシア北方の地にマケドニア王国を建国した。したがって、アルゴス人やスパルタ人、マケドニア人はヘーラクレースの子孫とされた。また、彼らは皆ドーリス系ギリシア人であったので、ヘーラクレイダイの帰還はドーリス人のギリシア侵入と関連付けられている。
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