プロ野球の球団招致
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 04:47 UTC 版)
「千葉マリンスタジアム」の記事における「プロ野球の球団招致」の解説
昭和末期に検討していたダイエーへの身売りを直前で取り止め、また老朽化しかつ狭隘な川崎球場を本拠地とし、観客動員が伸び悩んでいたロッテオリオンズは関東の他球場への本拠地移転を検討しているとされており、建設開始前後から当球場へ進出する構想がささやかれていた。また、「株式会社千葉マリンスタジアム」が運営会社として活動を開始した直後の1989年(平成元年)6月25日に「千葉にプロ野球を誘致する県民会議」が県民・市民や県内政財界関係者によって結成され、プロ野球誘致を求める署名運動が開始された。そのため、「株式会社千葉マリンスタジアム」がロッテ球団に対して招致を行って「公式戦」を1989年(平成元年)11月に開催するとの回答を得ると共に、同年11月24日には同球団の松井社長が来季からの移転に意欲を見せるなど本拠地移転に向けて進展が見られた。しかし、プロ野球の球団本拠地化に伴う補助金の返還が約5億円に上ることなどもあり、「公共性重視」を掲げて千葉県側が招致に慎重な姿勢を示したことから1991年(平成3年)の移転すら困難と見られるようになった。こうした状況を受けて、千葉青年会議所が千葉県と千葉市にプロ野球誘致に向けて努力を要望したものの、状況は進展しなかった。ところが、開場後の1990年(平成2年)7月になっても千葉県当局は県議会でプロ野球の球団誘致に慎重な姿勢を変えなかった。同年9月に千葉青年会議所が千葉県議会に改めて請願書を提出し、同年10月に入ってようやく千葉県知事が誘致へ協力することを表明することになった。千葉県の姿勢の転換を受けて同月25日に千葉市と千葉県はプロ誘致について正式合意し、千葉県が千葉市に了承書を交付した。ところが、同月30日にロッテの松井静郎球団社長は1991年(平成3年)の移転断念を表明し、1991年(平成3年)2月5日に「株式会社千葉マリンスタジアム」がパシフィック・リーグに招致への協力要請した後の3月31日に行われた千葉市長との会談でロッテ球団側はあくまで「白紙」状態であると表明するなど、今度はロッテ球団側が慎重な姿勢を見せた。その後、同年7月31日に日本プロ野球のオーナー会議で重光昭夫オーナー代行が正式に移転を表明し、同日開催されたロッテ主催による千葉マリン初のパ・リーグ公式戦(対西武戦)に花を添えた。そして同年9月4日の実行委員会でロッテの保護地域の千葉県への移転が承認され、同年10月31日のオーナー会議での承認を経て、1992年からロッテは千葉マリンに本拠地を移すことが決定した。 移転の際、従来からのファンからは球団名として「オリオンズ」の継続を望む声もあったが、低迷を脱出するためにイメージを一新したいとして変更することになった。同年11月19日に一般公募から選考して、新たな愛称は「千葉ロッテマリーンズ」に決定した。
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