プロ入りと三星時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 08:04 UTC 版)
1998年のドラフトで俊足好打の即戦力新人として1次指名という上位指名で、三星ライオンズへ入団。新人離れした実力者であると予想され、積極的に起用される。新人王に最も近い選手と囁かれたが、ポストシーズンのLG戦にフェンスに激突し、負傷退場。 1998年アジア競技大会のメンバーとして選ばれていたが怪我の影響で外され、新人王も金守経に奪われた。だが、100試合・打率3割を達成。 1999年は、リハビリで1軍に出場することなく、2000年もほとんど試合に出場できなかった。 2002年は、韓国シリーズ優勝を決め怪我から完全に復帰したため再起賞を受賞。 2005年も自身2度目のシリーズ制覇を経験。しかし、その年のオフに宣銅烈監督と揉め、金昌熙(キム・チャンヒ)・康奉珪(カン・ポンギュ)と2対1のトレードで斗山ベアーズへ移籍。
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