ブルゴーニュ家
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ブルゴーニュ家(仏:maison de Bourgogne)は、フランス王家であるカペー家の支流の一つで、11世紀から14世紀にかけてのブルゴーニュ公の家系。カペー(家)系ブルゴーニュ家(maison capétienne de Bourgogne)、第一ブルゴーニュ家とも呼ばれる。この家系からはポルトガルのブルゴーニュ(ボルゴーニャ)朝も出ている。14世紀から15世紀にかけてブルゴーニュ公国を統治したヴァロワ=ブルゴーニュ家や、10世紀から12世紀にかけてのブルゴーニュ伯の家系であるイヴレーア家(この家系からはカスティーリャ、レオンのブルゴーニュ(ボルゴーニャ)朝も出ている)とは直接につながりがあるわけではないので注意を要する(ただし、いずれも女系を通じてのつながりはある)。
- ^ Villalon & Kagay 2008, p. 27.
- ^ 下津 1982 pp. 232, 299
- ^ Louda & Maclagan 1981, pp. 148, 230.
- 1 ブルゴーニュ家とは
- 2 ブルゴーニュ家の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
ブルゴーニュ家
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詳細は「ブルゴーニュ家」を参照 ブルゴーニュは11世紀初頭に一時フランス王の支配下にあったが、アンリ1世の弟ロベール1世がブルゴーニュ公に封じられて以降、その子孫によって支配された。この家系がカペー系ブルゴーニュ家である。1361年にフィリップ1世が嗣子無くして断絶すると、ヴァロワ家のフランス王ジャン2世が公位を継承し、1363年に息子のフィリップ2世に引き継がれた(この家系はヴァロワ=ブルゴーニュ家と呼ばれる)。
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ブルゴーニュ家
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この一族は男系ではウラカの夫ガリシア伯ライムンドの子孫にあたる。 肖像画名前生誕統治期間死去備考 アルフォンソ7世 1105年3月1日 1126 – 1157年8月21日 1157年8月21日 ガリシア王 (1111年 - 1157年)カスティーリャ王 (1126年 - 1157年) フェルナンド2世 1137年3月1日 1157年–1188年 1188年1月22日 アルフォンソ9世 1171年8月15日 1188年–1230年 1230年9月23日 フェルナンド3世 1199年7月30日ないし8月5日 1230年–1252年 1252年5月30日 カスティーリャ王 (1217年 - 1252年)1671年に列聖 される。 以後は全ての国王がカスティーリャ王を兼ねる。 これ以降はカスティーリャ王の一覧(フェルナンド3世以降)を参照のこと。レオン王国は実質的にはカスティーリャ王国(および後のスペイン王国)に統合されるが、名目上はフェリペ5世の時代まで存続する。
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