ブルゴーニュ公国崩壊後の君主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 03:24 UTC 版)
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マリー女公 (Marie 1457年 - 1482年、在位:1477年 - 1482年) 父シャルル突進公の死後、フランス王ルイ11世の煽動により反乱が起こり、一時幽閉される。そこで婚約者マクシミリアンに救援を求め、結婚する。ブルゴーニュはフランス王領に編入されるが、ギネガテの戦いの勝利によりネーデルランドとフランシュ=コンテは確保する。マリーとマクシミリアンの共同統治となるが夫婦仲は極めて良く、共に領内を歴訪し支持を集める。しかしマリーは落馬事故にてあえなく落命する。ヴァロワ=ブルゴーニュ家男系が絶えたため、2人の息子フィリップ美公が相続した。公位と所領はその後、美公の長男である神聖ローマ皇帝カール5世からスペイン・ハプスブルク家へと継承されたが、それも貴婦人の和約によってイタリア方面の権益と引き換えに放棄することになる(伯領は保持)。そしてハプスブルク(オーストリア・ハプスブルク君主国)とフランス王家との対立は、18世紀中頃の外交革命まで続くことになる。
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