ブラガンサ公とは? わかりやすく解説

ブラガンサ公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 07:55 UTC 版)

ジョアン4世 (ポルトガル王)」の記事における「ブラガンサ公」の解説

ブラガンサ家は、アヴィス朝初代国王ジョアン1世庶子であったブラガンサ公アフォンソ1世を祖とする家系で、王家通婚重ねたポルトガルの有力貴族であったジョアン第7代ブラガンサ公テオドジオ2世英語版)と、妻アナ・デ・ベラスコ(英語版)(スペイン貴族のフリアス公フアン・フェルナンデス・デ・ベラスコの娘)の嫡子として生まれたテオドジオ2世の母カタリナマヌエル1世の六男ギマランイス公ドゥアルテの娘で、自身権利としてポルトガル王女(Infanta de Portugal)の称号持っていた。エンリケ1世枢機卿王)の後継決める際、エンリケ1世の姪にあたるカタリナ次期王位継承候補者挙がっていた。 1580年以後ポルトガルスペイン・ハプスブルク家の王の下でスペイン同君連合となっていたが、スペインからの独立気運高まっていた。革命企てジョアン一度躊躇するが、妻ルイサ・デ・グスマンに「奉仕し一生を終わるより、統治して死ぬ方がましでしょう」と励まされ首謀者となる。 1640年12月1日貴族40名らとともにリベイラ王宮乱入カタルーニャ叛乱で兵を手薄にしていたスペイン軍なすすべもなかった。同年12月15日ジョアンリスボン大聖堂即位したポルトガル王政復古戦争)。

※この「ブラガンサ公」の解説は、「ジョアン4世 (ポルトガル王)」の解説の一部です。
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