フランク王国の拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/06 20:40 UTC 版)
「ロンスヴォーの戦い」の記事における「フランク王国の拡張」の解説
フランク王国のカロリング朝を開いた小ピピンは、フランス南西部のアキテーヌを治めていたワイファリ(英語版)を破り、アキテーヌ公国深くまで侵攻した。アキテーヌ軍の主力だったヴァスコニア公国(英語版)(後のガスコーニュ公国)のバスク人も769年に小ピピンに服従した。ガロンヌ川南は無傷で残り自治を続けたが、778年にカール大帝が息のかかったフランク族やブルグント族、聖職者らをガスコーニュに送りこんで要職につけ、フェザンサック、ボルドー、トゥールーズといった辺境伯領を設置してガロンヌ川左岸を蚕食していった。
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