フラッシュメモリ発明にまつわるエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 00:23 UTC 版)
「舛岡富士雄」の記事における「フラッシュメモリ発明にまつわるエピソード」の解説
東芝に入社後、高性能なメモリを開発したが売れないことに業を煮やした舛岡は、営業職を志願し、アメリカ合衆国のコンピュータ会社を回った。結局全然売る事ができず、1年もたたずに営業職からは外される。しかし、この時に何度も営業先に言われた「性能は最低限でいい。もっと安い製品はないのか」という言葉から、性能の向上ばかり考えず、需要に見合った機能を持つ製品を低コストで作るべきだと悟る。結果、情報を1ビットごとではなく一括消去するという、あえて性能を落としてコストを1⁄4以下にする方法を思いつき、フラッシュメモリが発明されるに至った。
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