バルカン戦争から第二次世界大戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:33 UTC 版)
「スコピエ」の記事における「バルカン戦争から第二次世界大戦まで」の解説
ロンドン条約により1913年にセルビア政府により現代のマケドニアは統治されるようになった。スコピエは第二次バルカン戦争の間もセルビア王国の統治下に残り、ブルガリアなど以前戦線を組んだ国同士で戦いが行われている。第一次世界大戦が勃発した1915年にブルガリア王国によりスコピエは占領される。1918年に新たに成立したユーゴスラビア王国の一部となり1939年まで続いた。1920年の半年間わずかな期間、スコピエはユーゴスラビア共産主義者同盟の支配下に置かれた。セルビア人の支配層はマケドニア人のナショナリズム (en) を潰すためにオスマン支配時には考えられなかった弾圧を行った。1931年に分権化されたユーゴスラビア王国に移り、スコピエはヴァルダル自治州の州都となった。1941年、ユーゴスラビアは戦争に突入し大規模な反戦デモが町の通りで行われていた。1941年4月7日、スコピエはナチス・ドイツの占領を受けその支配下に入り 、後にブルガリアによって占領されている。 幅広い分野で「ブルガリア化運動」がブルガリアの占領軍により行われ、国立劇場や博物館、高等教育機関であるボリス王大学などが設立された。 1943年3月11日、スコピエ全域に居住する3,286人のユダヤ人はポーランドのトレブリンカ強制収容所の ガス室に強制連行された。 この方法はブルガリアがユダヤ人を扱った方法とは対照的であった。
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