バブル景気と崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 05:47 UTC 版)
1980年代中盤から1990年代前半にかけてのバブル景気の時期には、日本人学校は多くの生徒を抱え校舎を増設し、新たに上海、イスラマバード、イスタンブール、バルセロナ、チューリッヒ、メルボルンなどで学校が設立された。 1990年代前半のバブル景気崩壊後は、日本企業の現地化が進んだ上に、経費がかさむ駐在員を減らしていることから、生徒不足で閉鎖される日本人学校が相次いでいる。しかしその一方で、1990年代に東西統一したドイツのベルリンで、ドイモイ政策の効果が出だしたベトナムのハノイやホーチミンで日本人学校が設立されている。
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