バジル・ホール
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バジル・ホール(英語: Basil Hall、1788年12月31日 - 1844年9月11日)は、19世紀のイギリスの海軍将校、旅行家、作家。インド洋、中国、朝鮮、琉球、中南米、北米各地を航海したことで知られる[1]。ベイジル・ホールと記述されることも多い。王立協会会員(FRS)[2]。孫に東京帝国大学文学部名誉教師を務めたバジル・ホール・チェンバレンと、アーリアン学説の思想家であるヒューストン・ステュアート・チェンバレンがいる。
- ^ 『國學院法学』第40巻 第2号『ベイジル・ホールの生涯と著述』山下重一 p.58
- ^ a b c d e f g en:Basil Hall
- ^ a b "Voyages and Travels of Captain Basil Hall"T. Nelson, 1895
- ^ a b Basil HallEncyclopædia Britannica, Inc.
- ^ HALL OF DUNGLASSGordon MacGregor: The Red Book of Scotland Project - 2017.
- ^ バジル・ホール来琉200周年除幕式沖縄ブロードバンドテレビ、2016年12月18日
- ^ 舒川馬梁鎮に世界一高い十字架像中央日報日本語版2010年1月20日
- ^ a b c d e 第17話 幕末のコスモポリタン(真栄平房昭)『おきなわ歴史物語』高良倉吉、おきなわ文庫, 2014
- ^ a b 浜口稔「多文化圏ニッポン,西洋との遭遇:幕藩体制下の異国〈琉球〉の場合」『明治大学人文科学研究所紀要』第59巻、明治大学人文科学研究所、2006年3月、95-115頁、ISSN 05433894、NAID 120002908570。
- ^ 四、来琉外国人文献で見る沖縄の歴史と風土、琉球大学附属図書館貴重書展、2001
- ^ a b 修斌, 劉嘯虎「ペリー艦隊の対中・日・琉関係の認識 (東アジアの歴史と動態)」『東アジア文化交渉研究』第8巻、関西大学大学院東アジア文化研究科、2015年3月、359-373頁、ISSN 1882-7748、NAID 120005688328。
- ^ a b 文献紹介:幕末の異国船来琉記と当時の琉球の状況-③--琉球大学附属図書館所蔵沖縄関係資料から、豊平朝美、琉球大学附属図書館報 Vol.35 No.1 Jan 2002
- ^ バジル・ホール原著・春名徹訳『朝鮮・琉球航海記』岩波文庫 ISBN 4-00-334391-3 p.333
- ^ 申福龍「異邦人의본朝鮮다시읠기」p.39
- ^ 海外研修報告書青野聰、多摩美術大学、2006
- ^ クリストファー・エイムズ「「軍人」から「外人」へ : 沖縄における沖縄県民と米軍の相互関係についての民族誌学的一考察」『コンタクト・ゾーン』第3号、京都大学人文科学研究所人文学国際研究センター、2010年3月、72-83頁、NAID 120005307120。
- ^ 江戸時代における琉球王国の信仰とキリスト教禁止について (PDF) 三島祐華、 西南学院大学国際文化学部、研究旅行 報告書、2015
- ^ 文献紹介:幕末の異国船来琉記と当時の琉球の状況(1)--琉球大学附属図書館所蔵沖縄関係資料から 豊平朝美、琉球大学附属図書館報Vol.34 No.3 July. 2001
- 1 バジル・ホールとは
- 2 バジル・ホールの概要
- 3 関連書籍
バジル・ホール
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「まんが首里城ものがたり」の記事における「バジル・ホール」の解説
1816年、坊主世主の時代に琉球上陸した英国海軍士官。琉球国内を視察しては、セント・ヘレナに流されたナポレオンに琉球の事を伝え、驚かれた。
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