ハンス・シュトゥック(ドイツ)
1934年に始まった750キロ・フォーミュラによるGPレースは、エンジンの排気量に制限が設けられていなかったことから、やがて600馬力を超えるモンスターが登場するに至った。そのなかでももっとも操縦が難しいといわれたのが、フェルディナント・ポルシェ設計のアウトウニオンGPカーで、V型16気筒エンジンを後方に配し、ドライバーはその前に位置するものであった。この長く、重い後部をスライドさせながらのコーナリングを完全にマスターしたドライバーは少なく、オートバイ・レース出身のベルント・ローゼマイヤーが随一、そしてハンス・シュトゥックがそれに次いだ。一方、シュトゥックはGPレースだけにとどまらず、20年代半ばから戦後に至るまで、ヨーロッパ各地のヒルクライムでも多くの勝利を重ねた。30年にはオーストリア・ダイムラーを駆ってイギリスのシェルズリー・ウオルシュに遠征し、コースレコードを塗り替えたのをはじめ、34年にはモン・ヴァントゥーなど、4つのヒルクライムで優勝している。ドライバーとしての経歴の最後にはBMWのツーリングカーを走らせ、ようやく引退したのは63年になってからであった。代わって息子、ハンス-ヨアヒム・シュトゥックが、BMWからドライバーの経歴をスタートさせている。
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