ドイツにおける帝国教会政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 23:46 UTC 版)
「帝国教会政策」の記事における「ドイツにおける帝国教会政策」の解説
東フランク王国のザクセン朝の国王オットー1世は、国内の有力諸侯の力を抑えるために教会の力の利用を図った。彼は教会に土地を寄進する代わりに自分の身内を聖職者に任命し、教会を統制した。聖職者の独身制のためにその地位は世襲されないので、諸侯がその地位を世襲できなくなった。また聖職者は文書の作成などに通じているので、彼らに国家官僚を兼ねさせることによって政府による統治にも利用できた。962年、オットー1世はローマでローマ教皇ヨハネス12世から戴冠されて皇帝となり、神聖ローマ帝国が成立した。この帝国において、帝国教会政策はイタリア政策とともに後のザリエル朝に継承されていくことになる。またゲルマン社会では、教会は創設者の私有物であるという考え方があり、オットー1世はそのような伝統的観念を拡大して叙任権を獲得し、教会の規律を立て直しながら、その統制を通じて諸侯の力の抑制を目指した。
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