トロント・ブルージェイズGM
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 05:50 UTC 版)
「J.P.リッチアーディ」の記事における「トロント・ブルージェイズGM」の解説
アスレチックス時代の実績が評価され、2001年11月14日にトロント・ブルージェイズのゼネラルマネージャーに就任した。アスレチックス時代と同様に、スカウトによる主観的評価よりも、セイバーメトリクスに基づく客観的評価を重視した補強を行った。「マネー・ボール」の原則通り、ドラフト上位指名選手は大学生中心だったが、トラビス・スナイダー(2006年)やケビン・アーレンス(2007年)のような例外もあった。 2005年のシーズンオフにはテッド・ロジャース・オーナーから大幅な年俸総額の引き上げを認められたことで、GM就任以後最大の大型補強を行った。B.J.ライアンを5年4750万ドル、A.J.バーネットを5年5500万ドル(3年目終了時に契約破棄条項付き)で獲得すると、トレードでライル・オーバーベイ、トロイ・グロースも獲得。更に、ベンジー・モリーナを1年500万ドルで獲得。ロイ・ハラデイとも2008年から2010年まで3年4000万ドルで契約延長に成功した。リッチアーディは「オフに入ったときにプランは立てていたがこんなにうまくいくとは……」と大型補強を自画自賛した。その結果、2006年はレッドソックスを上回り、1993年以降では最高となる地区2位の成績を収めた。 2009年はエースのロイ・ハラデーにトレード話が浮上し、高年俸選手のスコット・ローレン、アレックス・リオスを相次いで放出するなど、再建モードに入ったが、同年10月3日、契約を1年残したまま、GMを解任された。在任8年間で勝率5割以上を4度マークしたが、悲願のプレーオフ進出は最後まで実現できなかった。後任にはアレックス・アンソポロスが就任した。 GM解任後、リッチアーディはカナダメディアのインタビューに対し、「私は与えられた条件下でやれる限りのことをした。それでも、この地区で勝ちぬくには十分ではなかった」、「ヤンキースはその気になればペイロールを3億ドルまで増やすことができる。レッドソックスも資金は潤沢だ。この状況では、ブルージェイズがヤンキースやレッドソックスとの争いに勝ちぬくのは難しいだろう。誰がGMをやっても同じことだよ」と語った。
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