デメトレ1世とギオルギ3世の治世
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「グルジア王国」の記事における「デメトレ1世とギオルギ3世の治世」の解説
王国の繁栄はダヴィド4世の子デメトレ1世(英語版)の治世でも続いた。彼の治世では王位継承の争いが起こったが、グルジアは中央集権であり続け、軍事力を保持した。ムスリムに対してはギャンジャで決定的な勝利を収めた。 デメトレ1世は父と同じく詩人としての才能があり、グルジアの聖歌を数多く詠った。そのうち一番有名なものはThou Art a Vineyardであり、現代のグルジア正教会を代表する讃美歌となっている。 1156年、デメトレ1世の子ギオルギ3世が王位を継承した。同年、ギオルギはアナトリア半島東部のセルジューク朝地方政権を攻撃、ドゥヴィンを解放した。さらに娘のルスダンを東ローマ皇帝アンドロニコス1世コムネノスの息子マヌエル・コムネノスに嫁がせ、王家の権威を高めた。
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