ディズニー社設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:05 UTC 版)
「ウォルト・ディズニー」の記事における「ディズニー社設立」の解説
ハリウッドでは兄のロイ・ディズニーと共にカンザス時代に一本だけ制作した「アリスの不思議の国」シリーズの続編商品を販売する会社「ディズニー・ブラザース・カートゥーン・スタジオ」(後のウォルト・ディズニー・カンパニー)を興した。事業の過程でアリス・コメディシリーズのアニメを再度制作する機会を得たウォルトは以前の様にアニメーター仲間を集めた。そこには、Laugh-O-Gram Studio時代のスタッフだけでなく、バート・ジレット、フリッツ・フレレングといった新人アニメーターを雇った。ディズニー・ブラザース・カートゥーン・スタジオ社はアニメ製作会社へと転進した。これが実質的な「ディズニー社」の設立であると考えられ、ロサンゼルス市ダウンタウンの北側:シルバーレーク地区ハイペリオン通りに開設された制作スタジオは1939年のバーバンクへの移転による閉鎖までディズニーアニメを世に送り出し続けた。 少女子役の実写にアニメーションを織り交ぜた「アリス・コメディシリーズ」は人気を博し、ディズニー社の経営は軌道に乗っていった。1925年、会社の従業員だったリリアン・バウンズ(Lillian Bounds)と結婚し流産を経て実娘のダイアン(Diane)を儲けた後に、養女のシャロン(Sharon)を迎え、忙しい生活を送りつつも、父親に愛されなかった反動もあり(後年、長期の南米旅行中ということで、彼は父親の葬儀にも出席しなかった)二人の娘を溺愛しながら育てた。
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