タイ・フランス領インドシナ紛争
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タイ・フランス領インドシナ紛争(タイ・フランスりょうインドシナふんそう)は、1940年(仏暦2483年)11月23日から1941年(仏暦2484年)5月8日にかけて起きた、タイ王国とヴィシー政権下のフランス植民地軍との国境紛争である。「泰・仏印国境紛争」「インドシナ国境紛争」とも。
- ^ 吉川利治 2010, p. 26
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- ^ 吉川利治 2010, p. 28
- ^ 停戦協定成立、国境問題は東京会談で『東京日日新聞』昭和16年2月1日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p431 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
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- ^ 柿崎一郎 2007, pp. 165–166
- ^ 柿崎一郎 2007, p. 166
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- ^ 柿崎一郎 2007, pp.163, 167
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- ^ 柿崎一郎 2007, pp. 168–169
- ^ 初会合の模様を伝える日本ニュース第65号。
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- ^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02031249900
- ^ 杉田一次 『情報なき戦争指導』原書房、1987年、187頁
- ^ 柿崎一郎 2007, pp. 183–185
- ^ a b c d 柿崎一郎 2007, p. 186
- 1 タイ・フランス領インドシナ紛争とは
- 2 タイ・フランス領インドシナ紛争の概要
- 3 紛争への経緯
- 4 仏領印度支那「タイ」国間国境確定委員会
- 5 その後
タイ・フランス領インドシナ紛争
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「仏印進駐」の記事における「タイ・フランス領インドシナ紛争」の解説
1940年(昭和15年)11月25日からはタイ王国とフランス領インドシナ間の国境紛争が勃発した(タイ・フランス領インドシナ紛争)。陸上での戦いではタイが優勢だったものの、海上での戦いでフランス側が勝利した。タイとフランスは第三国に仲介を求めていたが、アメリカやドイツはこれに乗り気ではなく、結果として日本が仲介役を行うことになった。1941年5月9日に締結された東京条約では、フランス領インドシナからカンボジアとラオスの一部地域をタイに割譲するという合意が成された。これは領土・権益の保全を定めた、先の松岡・アンリ協定に反する内容であったが、フランスはこれを受け入れざるを得なかった。
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