ソテツ地獄
ソテツ地獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/06 05:58 UTC 版)
ソテツ地獄(ソテツじごく)は、明治末期から昭和初期にかけて、南西諸島において発生した経済恐慌[1]。
注釈
- ^ 沖縄版地租改正たる沖縄県土地整理法
- ^ これに対し、サトウキビは200グラム程度でも育つ。
- ^ サツマイモは1594年にフィリピンから中国に伝来し、中国からそれぞれ1597年(一説に1618年)に宮古島、1612年に与那国島、1694年に石垣島、1604年 - 1605年に沖縄本島へとばらばらに伝わる。沖縄本島から1698年(元禄11年)3月種子島に伝わり、1705年(一説に1709年)、本土の薩摩に伝わった。1711年、薩摩外の本土に持ち出されたのを皮切りに本土全国に広まる。
- ^ 2012年現在もサトウキビや製糖業は同地域の重要な農産物および産業の一つで、沖縄県では農地面積の過半5割ほどを占め筆頭である。
- ^ なお、同地域の寒村ではソテツを救荒食とする状況が明治時代末期から散見されていた。
- ^ 大島島司・笹森儀助はこの改善に努め、糖業の振興と、島民が持っていた負債の償却に多く力を注いだ。
- ^ 1697年「甘蔗作付制限・禁止令」
出典
- ^ 1927年(昭和2年)10月13日 沖縄朝日新聞 「蘇鉄地獄の食料」より
- ^ 当山昌直, 沖縄県教育庁文化財課史料編集班「近代沖縄の新聞にみられる蘇鉄(ソテツ)」『沖縄史料編集紀要』第38号、沖縄県教育委員会、2015年、 25-70頁、 ISSN 0914-4137、 NAID 120005688583。
- ^ 【仰天ゴハン】ソテツ料理(鹿児島県・奄美大島)南国の民救った白いかゆ『読売新聞』日曜朝刊別刷り「よみほっと」1面(2019年7月14日)。
- ^ “サトウキビ1tに国の補助金約16000円 でも農家は儲からず NEWSポストセブン”. www.news-postseven.com. 2018年7月2日閲覧。
[続きの解説]
「ソテツ地獄」の続きの解説一覧
- 1 ソテツ地獄とは
- 2 ソテツ地獄の概要
- 3 その後
- 4 地域間の差異
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