スウェーデン暦
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スウェーデン暦(スウェーデンれき)は、スウェーデンとその属領で1700年3月1日(ユリウス暦1700年2月29日/グレゴリオ暦1700年3月11日)から1712年2月30日(ユリウス暦1712年2月29日/グレゴリオ暦1700年3月11日)まで12年間使われていた暦法。ユリウス暦より1日進み、グレゴリオ暦より10日遅れていた。また、スウェーデンの復活祭は1740年から1844年まで天文学的計算に基づく日付を用いていた。
- ^ Roscoe Lamont, The reform of the Julian calendar (II), Popular Astronomy 28 (1920) 18–32, see pages 24–25.
- ^ Anomalous Easter Sunday Dates during the 18th and early 19th Century by Robert van Gent
- ^ Anomalous Easter Sunday Dates in Sweden and Finland by Robert van Gent
- 1 スウェーデン暦とは
- 2 スウェーデン暦の概要
スウェーデン暦
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グレゴリオ暦の交付後、「2月30日」が最初に現れたのはスウェーデン(当時スウェーデン領だったフィンランドの一部も含む)の暦上であった。17世紀、ユリウス暦を使用していたスウェーデンは、グレゴリオ暦への改暦を計画した。当時、グレゴリオ暦の日付は、ユリウス暦よりも約11日進んでいた。これを解消するには、たとえば1月1日の翌日を1月13日にするなどの大きな改変が必要になる。しかしスウェーデンは、閏年を間引いて少しずつグレゴリオ暦と同じ日付に近づけようと計画した。 具体的には、ユリウス暦では閏年だった1700年を平年にし、次の1704年、1708年と、1740年まで40年間に渡ってすべての閏年を平年にして、ちょうどグレゴリオ暦と同じ日付にする。こうしてまず1700年は平年とされたが、1704年、1708年は計画に反して閏年となってしまった。この結果、スウェーデンは、ユリウス暦ともグレゴリオ暦とも違う日付を刻む国になってしまった。 世界中どこの国とも日付がかみ合わず、大変に不便であったので、1712年にとりあえず日付をユリウス暦と同じに戻すため、2月に2日の閏日が挿入された。このためこの年の2月末日は2月30日となった。このスウェーデン独自暦1712年2月30日(同暦の最終日)は、ユリウス暦では2月29日、グレゴリオ暦では3月11日に当たる。そして翌日は、ユリウス暦と共にスウェーデン国内も3月1日の日付を無事刻むことができ、スウェーデン独自暦はそのまま廃止された。スウェーデンのグレゴリオ暦への改暦は結局、それから40年以上が経過した1753年に行われている。
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