シングルプレーヤーとしての成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:45 UTC 版)
「SANADA」の記事における「シングルプレーヤーとしての成長」の解説
2011年のチャンピオン・カーニバルでは優勝決定戦で新日本プロレスの永田裕志に敗れるも、準優勝に輝いた。 その後はメインの出場が一気に増え着実に勝ち星を増やしていくと、6月19日の両国大会で再び征矢と組みesとしてアジアタッグ王座を獲得する。そして両国メイン終了後、諏訪魔の持つ三冠王座挑戦を表明、7月31日に自身初の団体最高峰王座挑戦は王者を相手に健闘するも一歩及ばず、ベルト奪取とはいかなかった。 10月23日、両国大会で何度も対戦してきた大日本の関本・岡林組を相手にアジアタッグ王座戦を敢行するも、王座防衛に失敗した。 12月18日、大日本プロレスに初参戦しタイプが似ているという大日本の若手ホープの石川晋也と対戦して勝利する。 2012年1月3日、最強タッグのパートナーKAIと組んでダーク・オズ、ダーク・クエルボの持つ世界タッグ王座に初挑戦するもメキシコ組の卑劣な戦法で敗北、王座獲得はならなかった。 3月20日には膝の怪我をおして小島とのシングルマッチに挑むが敗北。膝の怪我が悪化し1シリーズ欠場することになった。 来るチャンピオン・カーニバルでは決勝出場は逃すも、最終戦でのタッグマッチで征矢からピンフォールを奪い、世界タッグ王座への無言の挑戦をアピールする。そして5月20日福岡大会で久々に来日したジョー・ドーリングとのタッグで挑戦し、世界タッグ王座を獲得した。 1ヵ月後の6月17日にGET WILDのリマッチによりベルトを奪われ、ドーリングともまた仲たがいしたものの9月8日にGAORA TV チャンピオンシップ初代王者決定トーナメントに出場。大日本の岡林との激戦を制して準決勝にコマを進むと、9月シリーズ最終戦では元nWoのケビン・ナッシュを体感した。 2013年は、ヘビー級に転向したKAIに完敗した。チャンピオン・カーニバルでは準決勝まで駒を進めるも、秋山準に試合を掌握され敗れた。そしてファイトの幅を広げるために海外遠征を決意、5月から短期間ではあるがカナダへの武者修行に旅立った。 2013年6月30日を以って全日本プロレスを退団した。
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