サンフランシスコ・ジャイアンツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 16:54 UTC 版)
サンフランシスコ・ジャイアンツ(英語: San Francisco Giants、略称: SF、ジ軍)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はカリフォルニア州サンフランシスコにあるオラクル・パーク。
注釈
- ^ 直訳は「世界が聞いた一打」。この試合はアメリカ軍のラジオ放送網で世界中に中継されていた。
- ^ a b ワイルドカードで進出したチームは、勝利数で他地区優勝チームを上回ってもディビジョンシリーズ・リーグチャンピオンシップシリーズではホームアドバンテージを得られないので、両シリーズでは常に地区優勝チームにホームアドバンテージがある。その為、2014年の場合、ディビジョンシリーズはナショナルズ・パークから、リーグチャンピオンシップシリーズはブッシュ・スタジアムからのスタート、2016年の場合も同様に、ディビジョンシリーズはリグレー・フィールドからのスタートとなった。ただし、ワールドシリーズでのホームアドバンテージ選出方法はこれとは異なり、勝利数には関係なく2003年から2016年までの間、ワイルドカード進出チームが所属するリーグが当年度のオールスターゲームで勝利していればホームアドバンテージを得ることができた。2017年からはオールスターゲームによるホームアドバンテージ選出は廃止され、ワールドシリーズ進出の2球団のうち勝率の高いチームがホームアドバンテージを得る方式に変更された。
- ^ ワイルドカードゲームでのホームアドバンテージを得られる権利。
- ^ 北米4大プロスポーツリーグ全体でも1959年~1967年にかけて樹立したボストン・セルティックスの11連勝に次ぐ史上2位の記録である。
- ^ ナショナル・リーグ初の永久欠番。
- ^ 1997年指定
- ^ 背番号がない時代のため当時のフランチャイズであったニューヨークの二文字「NY」を永久欠番とした。
出典
- ^ 宇佐美陽「ボールパークを巡る冒険 (2)」『SLUGGER』通巻第4号(1998年8月号)、日本スポーツ企画出版社、76頁
- ^ a b 宇佐美、77頁
- ^ “ジャイアンツ 7度目の世界一!58年ぶりの4連勝V”. スポーツニッポン. (2012年10月29日) 2012年11月10日閲覧。
- ^ Maria Guardado (2021年11月4日). “Feeling 'at peace,' SF legend Posey retires” (英語). MLB.com. 2021年11月5日閲覧。
- ^ “Gabe Kapler wins NL Manager of the Year after leading Giants to 107 victories” (英語). BBWAA – Baseball Writers' Association of America (2021年11月16日). 2021年11月17日閲覧。
Steve Gilbert (2021年11月16日). “Stunning season earns Kapler NL MOY” (英語). MLB.com. 2021年11月17日閲覧。 - ^ “One Player Accepts Qualifying Offer; 13 Players Decline” (英語). mlbplayers.com (2021年11月17日). 2021年11月17日閲覧。
- 1 サンフランシスコ・ジャイアンツとは
- 2 サンフランシスコ・ジャイアンツの概要
- 3 概要
- 4 球団の歴史
- 5 選手名鑑
- 6 ジャイアンツ野球殿堂
- 7 傘下マイナーチーム
- 8 脚注
サンフランシスコ・ジャイアンツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 23:04 UTC 版)
「ヴァイダ・ブルー」の記事における「サンフランシスコ・ジャイアンツ」の解説
1978年3月15日にゲーリー・トマソン(後巨人)他6選手プラス30万ドルとの交換トレードで、同じベイエリアに本拠地を置くサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。同年は序盤に6連勝、6月10日から10連勝を記録するなど前半戦で12勝を挙げ、オールスターゲームでは史上初めて両リーグで先発投手を務めた。18勝10敗・防御率2.79を記録し、サイ・ヤング賞の投票で3位に入った。1979年は4月19日のサンディエゴ・パドレス戦でキャリアワーストの10失点ながら勝利投手となる。制球が悪く不安定な投球が続き、14勝を挙げたがリーグワーストの132自責点、キャリアワーストの111四球と不振。1980年は5月9日から7連勝を記録。途中約1ヶ月の離脱もあったが、14勝10敗・防御率2.97と復活した。1981年は9月6日のシカゴ・カブス戦で7回1死からビル・バックナーに打たれるまでノーヒットに抑える。この年は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮された影響で8勝に留まった。
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サンフランシスコ・ジャイアンツ
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「サム・マクダウェル」の記事における「サンフランシスコ・ジャイアンツ」の解説
1972年は開幕から5連勝を記録するがその後不調に陥り、7月から1ヶ月半離脱するなど10勝8敗・防御率4.33と不本意な成績に終わった。1973年はリリーフに回り、6月7日にニューヨーク・ヤンキースに移籍。
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