ゴーモンの秘書にとは? わかりやすく解説

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ゴーモンの秘書に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:37 UTC 版)

アリス・ギイ」の記事における「ゴーモンの秘書に」の解説

1894年21歳アリス速記先生紹介で、パリサンロック通りフランス語版57番地にあった写真会社コントワール・ジェネラル・ド・フォトグラフィー(Le Comptoir Général de Photographie)の社長代理レオン・ゴーモン秘書として雇われ150フラン給料得たアリスは週に6日、朝の8時から夜の8時まで、上司社長たちからの呼び出しベル応えるという仕事務めたが、やがて部屋行ったり来たりするのが無駄だとして、社長室デスク与えられた。そこでアリス会社に客として訪れた物理学者エルテール・マスカールルイ・ポール・カイユテ細菌学者のエミール・ルー(フランス語版)、エッフェル塔設計者ギュスターヴ・エッフェル飛行家アルベルト・サントス=デュモンなどの著名人知り合いになった聡明でよく働いたアリスは、ゴーモンから全幅の信頼を得、やがてさまざまな部門管理責任任されるようになった。 この時期アリス出会った著名人中には映画パイオニアとなる人物もいた。1895年会社訪問したジョルジュ・ドゥメニー(フランス語版)は、自身開発した動く映像装置フォノスコープフランス語版)のデモンストレーション行いゴーモンにこの装置利用相談したが、アリスもこの会談立ち会っていた。ゴーモンはこれに興味示したが、そのすぐ後にはリュミエール兄弟会社訪問し自身発明したシネマトグラフの上映会にゴーモン招待した。その上映会は同年3月22日パリ国立工業奨励協会行われアリスゴーモン同伴してこれに出席したアリス自伝で、ここで上映されリュミエール作品工場の出口』(1895年)を見て、「私たちはこうしてそうとも知らず映画の誕生立ち合っていたのだ」と述べている。 1895年6月ゴーモン社長のフェリックス・リシャールからコントワール・ジェネラル・ド・フォトグラフィーの事業買い取り8月10日資本金20フランレオン・ゴーモン商会(後にゴーモン社として知られフランス大手映画会社へと発展する)を設立したゴーモンはドゥメニと手を組み1895年末にフォノスコープビオスコープと名を改め発売し1896年にはそれを改良した60ミリフィルム用の映画用カメラのクロノフォトグラフを販売したゴーモン本格的に映画事業始めたことで、社長秘書としてのアリス仕事増え、朝8時に出社して10時から11時頃まで事務をとり、帰宅するのは夜12時というスケジュール送った当時アリス自宅会社のあるベルヴィル地区から遠いマラケ河岸フランス語版にあったが、会社自宅往復多大な時間無駄にしていることに気付いたゴーモンは、アリスのために自社工場近くにある小さなアパート借りてくれた。

※この「ゴーモンの秘書に」の解説は、「アリス・ギイ」の解説の一部です。
「ゴーモンの秘書に」を含む「アリス・ギイ」の記事については、「アリス・ギイ」の概要を参照ください。

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