ゴシップクイーンのソロデビュー
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「コートニー・ラブ」の記事における「ゴシップクイーンのソロデビュー」の解説
ニルヴァーナの音源やカートの肖像権を廻って、残りのメンバーと訴訟を起こしたり、チャリティコンサートでストリップをしたり、その性格と言動によって、彼女は多くの人々の批判と注目を浴びる存在となっていた。女優としての仕事は順調であったが、彼女はバンドで演奏する事を強く望んでいた。そうして、ホール正式解散から1年経った2003年10月、彼女は待望のソロ・アルバムの発売を控えていたのだが、元彼の家に侵入して警察沙汰、同時に薬物過剰摂取により入院沙汰、挙句の果てにはフランシスの養育権を奪われ家を追い出され、その発売は絶望視されていた。翌2004年2月10日に『アメリカズ・スイートハート(America's sweetheart)』が発売、様々な裁判沙汰を振り切ってツアーを敢行し、7月31日にはフジ・ロック・フェスティバルにも出演した。なお、『アメリカズ・スウィートハート』の邦版ジャケットは、フランシスがファンだった矢沢あいが手がけている。2009年12月11日、裁判所はコートニーから娘フランシスの親権を剥奪し、代わりに父方の祖母に当たるウェンディー・オコナー(1948〜)と叔母のキンバリー・ドーン・コバーン(1970〜)を保護者とする事を決定した。また同月16日には、フランシスおよび2人の保護者への一切の連絡を禁じた。
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