コルネリアス1世の大親征とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > コルネリアス1世の大親征の意味・解説 

コルネリアス1世の大親征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:18 UTC 版)

銀河英雄伝説の戦役」の記事における「コルネリアス1世の大親征」の解説

宇宙暦669年/帝国暦359年5月コルネリアス1世による同盟侵攻作戦。ゴールデンバウム王朝唯一の親征帝国暦350年即位したコルネリアス1世は、名君呼ばれた先帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世業績超える事を企図して、自由惑星同盟領への侵攻作戦決定するいわゆる「距離の暴虐」を唱えていたミュンツァー侵攻反対するも、ダゴン星域会戦報復を行うという名目があったため、積極的に反対する事は出来なかった。 侵攻作戦そのもの前回遠征失敗ダゴン星域会戦大敗教訓とし、入念な下準備同盟領への強行偵察、そして銀河帝国皇帝への臣従前提とした3度にわたる和平使節派遣までもが数年がかりで行われ宇宙暦669年/帝国暦359年5月コルネリアス1世自らが率い艦隊侵攻開始した同盟でもこの動き呼応して迎撃艦隊差し向けるも、入念な準備行っていた帝国軍構え磐石で、「第1次ティアマト会戦」で大敗喫するその後帝国軍快進撃続き一気ハイネセン制圧するかに思えたが、首都オーディン宮廷革命起こったため撤退余儀なくされた。 この侵攻切っ掛けとして銀河帝国自由惑星同盟恒常的な戦争状態に突入するが、互いに決め手欠いたまま150年もの長き渡って戦争続き両国急速に国力疲弊させていく。 なお、名君ではあったが、友人知人能力実績おかまいなし元帥号乱発する悪癖のあった「元帥量産帝」コルネリアス1世は、この戦い59人もの元帥引き連れて侵攻したため「元帥二個小隊」などと後世からは揶揄されているが、一連の戦闘その内35人が戦死以後新たに元帥号授ける事は無かった

※この「コルネリアス1世の大親征」の解説は、「銀河英雄伝説の戦役」の解説の一部です。
「コルネリアス1世の大親征」を含む「銀河英雄伝説の戦役」の記事については、「銀河英雄伝説の戦役」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「コルネリアス1世の大親征」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コルネリアス1世の大親征」の関連用語

コルネリアス1世の大親征のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コルネリアス1世の大親征のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの銀河英雄伝説の戦役 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS