カーゾン線
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/31 09:15 UTC 版)
カーゾン線(カーゾンせん、英語: Curzon Line)は、第一次世界大戦後、イギリスの外務大臣ジョージ・カーゾン卿によって提唱された、ポーランドとソビエト・ロシアの境界線のことである。第二次世界大戦後のポーランドの東部国境は、ほぼこの線の位置にある。
- ^ B案はポーランドがA案に反対することを想定して作成された。リヴィウはポーランド名でルヴフ (Lwow) と呼ばれ、ポーランドにとって歴史的に重要な都市だった。
- 1 カーゾン線とは
- 2 カーゾン線の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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