カーゾン線とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > カーゾン線の意味・解説 

カーゾン‐せん【カーゾン線】

読み方:かーぞんせん

第一次大戦後1919年連合国最高会議定めたポーランド・ソ連間の国境線ポーランド実力行使してさらに東方国境線設定したが、第二次大戦後は、ほぼこの線に戻して国境線定まった提案者の英外相カーゾンCurzon)にちなむ名。


カーゾン線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/31 09:15 UTC 版)

カーゾン線(カーゾンせん、英語: Curzon Line)は、第一次世界大戦後、イギリスの外務大臣ジョージ・カーゾン卿によって提唱された、ポーランドソビエト・ロシアの境界線のことである。第二次世界大戦後のポーランドの東部国境は、ほぼこの線の位置にある。


  1. ^ B案はポーランドがA案に反対することを想定して作成された。リヴィウはポーランド名でルヴフ (Lwow) と呼ばれ、ポーランドにとって歴史的に重要な都市だった。


「カーゾン線」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カーゾン線」の関連用語

カーゾン線のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カーゾン線のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカーゾン線 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS