ウェストウォード・ジャーニー・ニッケル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 21:22 UTC 版)
「5セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の記事における「ウェストウォード・ジャーニー・ニッケル」の解説
20世紀を通して、議会は特別な公認を得なくとも、25年おきに硬貨に関する変更を行ってもよいと合衆国造幣局へ許可を下した。1990年代以来、政府は硬貨のデザインを変更する働きかけに応じ始めている。これがアメリカ合衆国50州25セント硬貨や、2002年に出された、その翌年発行の5セント硬貨のデザイン変更案を導く結果となった。造幣局による当初の提案では、新たな5セントのデザインをアメリカの画家、ギルバート・スチュワートの肖像に基づいた表側と、西を向くネイティブ・アメリカンの人物とハクトウワシが描かれた裏側という硬貨へ変更する内容が盛り込まれていた。 バージニア州の政治家でアメリカ合衆国下院内幹事を務めていたエリック・カンターは、議会との協議が持たれずに作成されたこの提案に反対し、特に裏側のデザインに、彼の選挙区であるバージニア州のモンティチェロが、2006年にデザインとして再び復帰するまで描かれないとされたことにも異を唱えた。また、造幣局はこの裏面のデザイン変更がルイス・クラーク探検隊やルイジアナ買収を記念する意味があるとしたが、これらの出来事と十分に関連付けて描かれていないという問題も争点に挙がった。この問題は2003年、合衆国公法第108条15項の法令「アメリカ5セント硬貨におけるデザイン関連法(American 5-cent Coin Design Continuity Act)」の制定にまで発展した。この法律は元々カンターによりモンティチェロを硬貨の裏側に継続して描くことなどが盛り込まれたものだったが、2006年1月より再びモンティチェロのデザインを採用し、造幣局が議会の承認なしに硬貨に関する変更を行う権利を削除するといった内容へ修正された。2003年に硬貨の裏側のデザイン変更を予定していた造幣局は、こうした議論の白熱や法律の制定などで遅れをとる格好となった。 カンターの新しい法律の上では、造幣局が「ウェストウォード・ジャーニー(西部への進出)・ニッケル」のシリーズを提案したことになっている。このシリーズでは2004年と2005年の硬貨裏側に、各年2枚の新しいデザインが用いられた。
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