イスラエルへの侵略(紀元前738年)
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「新アッシリア帝国」の記事における「イスラエルへの侵略(紀元前738年)」の解説
紀元前738年、北イスラエル王のメナヘムの治世に、ティグラト・ピレセル3世はペリシテ人の地(現在のイスラエル南西部とガザ地区)を占領、次いでイスラエルに侵入し、重い貢納を課した[要出典]。ユダの王アハズはイスラエルとアラムに対する戦争に参加し、アッシリア王に対して金や銀を贈って支援を求めた。ティグラト・ピレセル3世はこれを受け、「ダマスカスへ侵攻し、これを破ってレツィン王を殺し、都市を包囲した」。軍の一部を包囲のために残すと、彼はさらに進み、ヨルダン川の東(ナバテア、モアブ、エドム)とペリシテ、サマリアを炎と剣をもって荒廃させた。そして紀元前732年、彼はアラムの首長国ダマスカスを奪い、その住民の多くとサマリアのイスラエル人をアッシリアへ強制移住させた。彼はまた、アラビア半島のアラブ人に貢納を強いた。 紀元前729年、ティグラト・ピレセル3世はバビロニアに行き、バビロン王のナブー・ムキン・ゼリを捕らえると、自らをプル王としてバビロン王となった。ティグラト・ピレセル3世は紀元前727年に死に、シャルマネセル5世が跡を継いだ。すると、イスラエル王のホシェアは貢納を停止し、紀元前725年にアッシリアに対抗してエジプトと同盟を結んだ。これを受け、シャルマネセル5世はシリアに侵攻し、イスラエルの首都サマリアを3年間包囲した。
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