アーウィン・ウィルヘルム・シーグラー
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「デュケインのスパイ網」の記事における「アーウィン・ウィルヘルム・シーグラー」の解説
アーウィン・ウィルヘルム・シーグラー(Erwin Wilhelm Siegler)は1929年に渡米し、1936年に市民権を取得した。米海軍により接収されるまで、客船アメリカ号にて精肉責任者(chief butcher)として勤務していた。 彼は連絡員であり、セボルドに対して本国からの指示が記されたマイクロフィルムを届けたこともある。また、給与および爆撃照準器調達用の活動資金としてリリー・スタイン、デュケイン、ローダーらに支払われた2,900ドルをドイツの海外拠点からアメリカへ運んだのもシーグラーだった。彼はスパイ網の中で主に組織運営と連絡に従事していたほか、パナマ運河における船舶交通および防衛状況に関する情報などの提供も行なった。 シーグラーはスパイ法違反について10年、外国代理人登録法違反について同時に2年の懲役を課された。
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