アルゲンバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 14:20 UTC 版)
ロシア内戦のさなか、1919年にミハイル・フルンゼによりエンバ油田が占領され、赤軍は大量の原油を押収したが、ロシアの中心部まで輸送する手段がなかった。このため同年12月、アレクサンドロフ・ガイ(ロシア語版)まで達していた鉄道路線をエンバ川まで延伸する決定がボリシェヴィキによりなされ、翌1920年には鉄道に沿ってパイプラインの設置計画も追加された。これらの計画はアレクサンドロフ・ガイの頭文字(Александров Гай)とエンバ川(Эмба)の名を取り、「アルゲンバ(ロシア語版、英語版)」(Алгемба)と命名された。 建設工事にはサラトフやサマーラから4万5千人もの住民が強制的に徴用され、ほぼ手作業で工事に従事したが、食糧も水もない無人の荒野で、感染症も流行するなど過酷な環境の中で工事は難航した。パイプライン建設にあたっては必要な技術も資材も十分に確保できておらず、工事開始4か月後の1920年4月にはバクーやグロズヌイが赤軍に制圧され、既にエンバ油田からの石油輸送の必要性は薄れていたが、ウラジーミル・レーニンはこの無謀な工事の続行を主張し続け、その間に現地では寒さや飢え、コレラの流行などで1日に数百人が命を落とすありさまだった。 1921年10月、ついにレーニンの指示により工事は中止され、鉄道もパイプラインも未完成のままに終わった。1年半に及ぶアルゲンバによる犠牲者は3万5千人に達したとされる。また政府から建設資金として10億ルーブルが投じられたが、明確な使途は不明であり、国外へ送金されたという推測もある。
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