アラウシオの戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > アラウシオの戦いの意味・解説 

アラウシオの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 04:28 UTC 版)

アラウシオの戦い(アラウシオのたたかい、英語: Battle of Arausio)は、紀元前105年10月6日にローマ属州ガリア・ナルボネンシスのアラウシオ(現フランスオランジュ)近郊で起こった、キンブリ族テウトネス族の連合軍とローマ軍の戦いである。移住先を求め、ボイオリクス王テウトボド王英語版に率いられてガリアに侵入した民族系統不明のキンブリ族とゲルマン系のテウトネス族(チュートン人)が、大カエピオグナエウス・マッリウス・マクシムスが率いるローマ軍を全滅させた。この戦いはキンブリ・テウトニ戦争の主要な戦いであると同時に、共和政ローマにおける最大の敗北の一つとされている。この大敗に衝撃を受けたローマではガイウス・マリウス軍制革命を進め、軍事だけでなくローマ社会そのものの大幅な変革につながった。


  1. ^ ᾖν δὲ πρὸ μιᾶς νωνῶν Ὀκτωβρίων "it was one day before the nones of October" Plutarch, Parallel Lives, Life of Lucullus 27.7
  2. ^ Valerius Antias (1st century BC). Manubiae (quoted by Livy, Periochae, book 67).
  3. ^ Albert A. Howard (1906). "Valerius Antias and Livy", Harvard Studies in Classical Philology 17, p. 161-182.
  4. ^ Canon Rawlinson (1877). "On the Ethnography of the Cimbri", The Journal of the Anthropological Institute of Great Britain and Ireland 6, p. 150-158.
  5. ^ a b Mommsen, Theodor; The History of Rome, Book IV
  6. ^ According to Publius Rutilius Rufus (quoted by Granius Licinianus, page 12), the figure concerning regular and light-armed troops was 70,000. Valerius Antias' figure includes 40,000 suppliers.
  7. ^ ゴールズワーシー 2019, 171-172.


「アラウシオの戦い」の続きの解説一覧

アラウシオの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 10:06 UTC 版)

クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前106年の執政官)」の記事における「アラウシオの戦い」の解説

将軍として才能があったカエピオだが、トロサでの略奪戦利品行方によって不名誉な記憶残ってしまった。 セーヌ川流域に留まっていキンブリ族は、紀元前106年移動開始した執政官だったカエピオは、ガリアの地でウォルカエ族攻撃しトロサの黄金手に入れている。 キンブリ族ローヌ川東側移動して紀元前105年執政官グナエウス・マッリウス・マクシムスが4万人の軍と共に駐屯していたアラウシオへ向かったウォルカエ族破ったカエピオは、プロコンスルとしてほぼ同数の軍を率いて北上しローヌ川西側来ていた。マッリウスはローヌより東側ガリア・ナルボネンシス担当で、ここで主導権争い起った。マッリウスは自身担当地区にカエピオを呼び寄せることで、自分インペリウム優先させようとし、カエピオはウォルカエ族対す自身インペリウム主張して協力拒んでいた。結局カエピオが折れてローヌ川渡ったものの、そこでアラウシオの戦いが起りローマ軍大敗した敗残兵はネマウススを経てマッシリアまで逃げ帰ったのだろうが、多く兵士死亡した考えられるオロシウス自身参照した史料元にカンナエの戦いよりも多い8万人戦死者出たとしているが、その信憑性には疑いがあり、現在の推定では2万ローマ軍団と恐らくそれ以上アラエや、およそ5万という説がある。

※この「アラウシオの戦い」の解説は、「クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前106年の執政官)」の解説の一部です。
「アラウシオの戦い」を含む「クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前106年の執政官)」の記事については、「クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前106年の執政官)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アラウシオの戦い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アラウシオの戦い」の関連用語

アラウシオの戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アラウシオの戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアラウシオの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのクィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前106年の執政官) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS