アフリカ系移民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/20 13:45 UTC 版)
「ブラジルのイスラム教」の記事における「アフリカ系移民」の解説
国内のムスリムの歴史は、全アフリカ奴隷貿易の37%を占める300万人以上のアフリカ奴隷の輸入で幕を開けた。ポルトガル人は1550年以降、原住民のトゥピ族が激減したことに伴い、砂糖のプランテーションの労働力確保を目的にアフリカ奴隷貿易を開始。研究者によると、アメリカ州で最も多くのムスリムを奴隷にしたという。 バーバリ戦争中は一部原住民がムスリム国家と交流。悪名を馳せた港町アルジェは、新世界のイベリア系植民地からのアメリカ・インディアンを含む、世界で最も複雑な多民族都市の1つであったと、1570年代に北米で捕虜となったポルトガル人聖職者のアントニオ・ソザが記している。 バーバリ海賊は船舶を攻撃し、アメリカ州出身の囚人を捉えたことで知られた。1673年には140名の囚人がリオデジャネイロの船団から連れ去られた。1674年にはブラジルの艦船が拿捕されたことで、海防力の強化が図られることとなる。
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