陳侃(ちんかん)
生没年不詳。『使琉球録』で琉球焼酒にふれ、「暹羅(しゃむ)より来る」としてその由来を初めて記録した。中国浙江ぎん(せっこうぎん)県の人。字(あざな)は応和(おうわ)。1526年、進士となる。1527年、琉球王尚真没し、世子尚清は明の世宗に使者を送り襲封を請うた。礼部の調査で尚真の長子が第2夫人である尚清の母、華后のため廃嫡されていたことが分かり、一度は襲封を退けたが、再度の要請で世宗は1531年、刑科給事中であった陳侃を冊封使(さっぽうし)の正使に任命した。彼は出発前、中国の正史や地誌などから琉球に関する予備知識を修得し、1534年5月8日副使高澄(こうちょう)とともに海口を出航、13日久米島に停泊、風に流されて伊平屋島に漂着したが、王府の船に曳航(えいこう)され、5月25日ようやく那覇についた。陳侃は那覇の天使館に四か月滞在し、その間に見聞体験したことを『使琉球録』にまとめた。帰国後南京太僕少卿(なんきんたいぼくしょうきょう)に任ぜられた。
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