その他の関連人物・項目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 05:01 UTC 版)
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北島健二ギタリストで共演多数。 ジェイク・E・リー80年代後半から90年代前半にかけて多くの楽曲に参加。過去にオジー・オズボーンのバンドにも在籍。 村上隆行、ラルフ・ブライアントバックコーラス「ピンクス」メンバーだった中田ゆうこを介して永年交流があった。とくに村上-中田が1989年結婚(中田はピンクス脱退・完全引退)の際、中田の披露宴の衣装の一部はアンがデザインした。 キャンディーズキャンディーズがデビューする前から、アンのバックガールを務めた経歴がある(アンの曲、「ハッピーヨコハマ」のバックコーラス)。キャンディーズがデビューしてからは、「やさしい悪魔」の曲の衣装や、後楽園球場で行われたサヨナラ公演のステージ衣装をアンがデザインした。 西城秀樹ジャガー(1976年6月5日リリース)「アンのアイデア」を当時のスタイリスト高橋洋子がデザインしたもの。公式サイト参照。 テレサ・テンアンの「グッド・バイ・マイ・ラブ」を日本語および中国語でカバー。1996年、テレサの一周忌を機に日本で開催された展覧会のブックレットに、アンは追悼コメントを寄せている。 桑田佳祐「哀しみのプリズナー」にアンがコーラスで参加。ほか、1986年と1987年の年末に日本テレビで放送された桑田企画の音楽番組『メリー・クリスマス・ショー』にも出演した。 鈴井貴之、大泉洋北海道テレビ放送 (HTB) の『水曜どうでしょう』の第1回のゲストであり、そのインタビューの相手がこの2人だった。1996年の秋にレコード会社から「旅費は出しますので、アン・ルイスのインタビューをしてみませんか?」と言われたディレクター陣がインタビューを敢行した。このインタビューの帰路で企画された「サイコロの旅」は番組を代表する企画の一つとなる。 夢で逢えたらアン出演の「花王ドレッサー」続編(1974年秋)のCMソングとして、渡辺プロの依頼を受けて大瀧詠一が提供したが、諸事情で不採用となったとされる。後に別の歌手によって世に出た。
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