その他の王シフト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 08:55 UTC 版)
白石の考案した王シフトは他のチームにも影響を与え、他のチームも同様のシフトを敷くようになっていった。しかし王は動じることなく、1964年に放った日本記録となる55本塁打のうち50本がセンターから右方向の打球だった。王の長打力に磨きがかかり始めると、変わったシフトをとるチームも出てきた。 1968年6月26日、中日ドラゴンズは内野手4人全員を一塁と二塁の間に配置、レフトを左中間、センターを右中間、ライトを一塁ライン際に守らせた。中心線から左側には外野手が1人いるだけというシフトだった。 また、1972年の日本シリーズ第1戦(10月21日)、阪急ブレーブスは二塁手を一二塁間に、三塁手を遊撃手の位置に配置し、中堅手の福本豊を右中間に、そして遊撃手の大橋穣をセンターに守らせる「外野4人シフト」を敷いた。この試合の王の第2打席は「遊飛(ショートフライ)」と記録されているが、これはバックスクリーン手前まで飛んだ打球を大橋が捕球したものである。世界中の野球史上最長のショートフライが誕生したのも、知恵者・白石の副産物といえる。 台湾屈指の強打者で、同じ左打の王柏融も酷似したシフトを敷かれることがある。
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