おとぎ電車
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おとぎ電車(おとぎでんしゃ)は、1950年代、京都府の宇治川沿いに観光目的で運行された遊覧鉄道である[1]。元は発電所建設の資材運搬用に建設された専用鉄道であった。地方鉄道法や軌道法に基づく鉄道事業ではなく、遊戯施設として認可を受けて運行していた。
- ^ 京阪宇治交通の社史「地域とともに六十年」では「お伽電車」と漢字書きで記されている。
- ^ 鹿島の軌跡 第51回 宇治川電気大峯ダム -「ダムの鹿島」のはじめの一歩 - 鹿島建設
- ^ a b c “ダムに沈んだ「おとぎ電車」 遊園地跡地をたどる”. 京都新聞. (2018年11月10日) 2020年6月13日閲覧。
- ^ 当時、宇治寄りでは宇治田原自動車による路線バスのみが運行されていた。
- ^ a b c d e f g 「宇治市政だより」2007年(平成19年)1月1日号 (PDF) - 宇治市
- ^ 宇治寄りの乗り場付近に「宇治川遊園」と称する遊園地を開設し、その施設という扱いであった。
- ^ 参考文献および外部リンクのうち、国土交通省のものでは「1951年(昭和26年)」となっている。
- ^ 1950年10月当時、国鉄の三等の初乗り運賃が5円で、40円では29kmまで乗車できた。
- ^ 『京阪70年のあゆみ』(京阪電気鉄道、1980年)P451。
- ^ 京阪宇治交通(1999年より京阪宇治交サービス)は、この廃止と同時に天ヶ瀬ダム近くのレストハウスにオープンした地ビールレストラン・ガーデンズ天ヶ瀬へのアクセスとして、宇治川沿いの系統(宇治川線)のうち、宇治市中心部からガーデンズ天ヶ瀬までの区間は引き続き運行した。しかし、2002年9月にガーデンズ天ヶ瀬を閉鎖。バスはその後も運行を継続(2003年4月に京阪宇治バスに移管)したが、2005年7月限りで廃止となった。このため現在は宇治川ライン沿いには公共交通機関がタクシーを除き存在していない。
- ^ 『鉄路五十年』年譜(p.719,722,735,739-742) 京阪電気鉄道、1960年
- ^ 宇治市歴史資料館『写真展 昭和の子どもたち -暮らしと風景の中で-』 p.22-26 2006年9月 (『おとぎ電車が走った頃』(2002)再掲)
- ^ 『昭和の子どもたち』には「機関車2両(一説には1両)」と記述されている。
- 1 おとぎ電車とは
- 2 おとぎ電車の概要
- 3 参考文献
固有名詞の分類
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