「葛城山」の呼称
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「金剛山 (金剛山地)」の記事における「「葛城山」の呼称」の解説
「葛城山」の呼称は、歴史的には南北に連なる金剛山と葛城山(大和葛城山)との総称として用いられた。その第一峰を高天山と称し(『大和名所図会』)、金剛山の別称は金剛砂を産出したことによる(『大和志料』)とも、また金剛山転法輪寺の山号にちなむともいわれる。 正嘉元年(1257年)の『私聚百因縁集』には「葛木山ハ即チ金剛山ナリ」とある。また貝原益軒の『南遊紀行』では現在の葛城山をさして「葛城(金剛山)の北にある大山をかい那が嶽といふ、河内にては篠峰と号す、篠峰を葛木といふはあやまりなり、葛城は金剛の峰なり」とある。また本居宣長の『菅笠日記』には「古は二つ(金剛山と葛城山)ながらを葛城山にてありけんを金剛山とは寺(金剛山転法輪寺)たててのちにぞつけられん」とみえる。 また貝原益軒の『和州巡覧記』では葛城山について「篠峰の南にあり。篠峰より猶高き大山也。是金剛山也。山上に葛城の神社あり。山上より一町西の方に金剛山の寺あり。転法輪寺と云。六坊有。山上は大和なり。寺は河内に属せり。婦人は此山による事をゆるさず……此山に登れば、大和、河内、摂津、其外諸国眼下に見ゆ」と記載されており、明らかに金剛山をさしている。
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