Urania sloanus
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 23:00 UTC 版)
発見から絶滅まで
本種は1720年代、ハンス・スローンの著書 (Sloane 1725) によって、Papilio caudatus として初めて記録されたとされる[2][8]。1770年代にはピーター・クラーマーが、ハンス・スローンにちなみ、本種を Papilio sloanus と記載・命名した。これが本種の原記載と見なされている。本種の生態や生活史の一端は、1850年代から1880年代にかけて、フィリップ・ヘンリー・ゴスによって明らかにされた(#幼虫節および#生態節参照)[1][2][6]。
本種は1890年代には生息密度がかなり低下していたようで、確実な記録は1895年[4]、不確実なものまで含めると1908年のもの[注釈 1]を最後に、記録が途絶えることとなった[1][2]。いずれにしても最後の記録から100年以上が経過しており、本種はすでに絶滅している可能性が高い[1][2][4]。
本種の絶滅の原因として、Lees & Smith (1991) は生息地の破壊と食草群落の喪失を挙げている[1][2][4]。本種を含むオオツバメガ亜科 Uraniinae のうち昼行性を示す種では、ふたつ以上の離れた食草群落間を成虫が周期的に移動する行動、すなわち「渡り」を行うことが知られる。渡りの習性をもつ種は食草群落の喪失に対して脆弱であると考えられ、食草としている種が絶滅していない場合でも、ある群落が消失するだけで渡りのサイクルが阻害されてしまい、大きな影響を受け得る。本種の食草として記録のある O. triandra は現在も絶滅していないが、にもかかわらず本種が絶滅した理由として、このような渡りサイクルの破壊の影響が考えられる。食草群落の喪失は人間活動やハリケーンの影響によるものである可能性がある[4]。
脚注
- ^ Vinciguerra (2009) によると、イタリアの個人収蔵標本の中から、ラベルの日付が1908年の本種の標本が見つかったが、この日付が採集日を示しているかどうかは確実ではないという[6]。
出典
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