80後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/29 02:08 UTC 版)
“80後”は計画出産政策(一人っ子政策)施行後に生まれ、その多くが一人っ子である。小皇帝の元祖とも言える。親や祖父母からの愛情を一身に受け育った為、一般的に「ワガママ」と言われ、「最も利己的な世代」「最も反逆の世代」「世間も知らずに最も期待できない世代」と世間から厳しい評価を受けてきた世代でもある[1]。
定義
“80後”とは、国際社会学者達が社会発展について討論している中で生まれた「代名詞」である。計画出産政策施行後に生まれた世代の人たちを指す(計画出産政策の新段階は1979年から施行されている)。中国では、歴史上初めて法律によって出産を制限するようになってから直面しているすべての問題、特に1980年以降に生まれた一人っ子たちの生活、成長、教養などの発展問題について議論されてきた。80後世代には改革開放という特殊な時代の傷跡が顕著に刻まれており、よく“90後”世代とともに議論されてきた。その後、1980年代生まれの人たちを指す言葉として広く使われるようになった。また、これにより“70後”“90後”といった言葉も生まれた。
出生の時期によって分類し、定義づけすることは科学的な方法ではないが、文化の流れの変化を見る一つの指標としては有効的な方法である。この言葉は青年作家の恭小兵によって初めて打ち出された。本来は文学界における1980年〜1989年生まれの若い作家の総称として使われていたが、以後様々な分野で使われるようになり今では1980年代生まれの若者を総称して“80後”と呼ぶようになった。“80後”は狭義として1980年〜1989年生まれの若者、広義として1980年代以降生まれの若者を指す。また、80後をより細分化して“85後(1985年〜1989年生まれの人)”という言葉もある。これは1980年〜1984年生まれの人が経験した時代変化の特質と85後の新世代を形成するそれとを強調する際に用いるが、あまり普遍的な表現ではない。
2009年の春節聯歓晩会(中国中央テレビが毎年旧暦の大晦日に放送する特別番組)で、80歳以上の人を指す新しい概念が提唱された。
ただし、“80後”という言葉は、ただその世代を指すだけの言葉ではない。“80後”は、独自の文化と一世代の文化の潮流を含んだ言葉なのである。“80後”は今20〜30歳となっているが、現在活躍している若い書き手の多くが1980年代以降に生まれている。1985年〜1986年以降に生まれた若者の中で早くに成功した者は、本を出したのでなければ、演劇や歌で有名になっている。これを“80後現象”“80後写作(80後の創作)”と呼ぶ[2]。
“80後”のイメージ
“80後”は特殊な時代背景の中で育ってきた為、長い間マイナスイメージをもたれており、数年前にはインターネットなどメディア上で「崩壊する世代」「最も責任感のない世代」「愚昧の世代」「最も身勝手な世代」「最も反逆する世代」というような攻撃的な表現を含め、“80後”を差別視するような言葉を至る所で見かけた。しかし、時が流れ、“80後”の年齢が上がるに伴い、人々の彼らに対するイメージや偏見は次第に変わってきた。特に2008年5月12日の四川大地震発生後、また北京オリンピックの聖火リレーなどの中で、彼ら若者の気骨の精神はる有力な中堅の力として愛国ブームの火付け役となり、精力的に愛国、思弁、正義、人間らしい積極的な思想を広めたことで、人々の彼らに対する見方を変え、各種メディアは積極的な報道や正式な宣伝を始めるまでに至り、「“80後”は主流派」とまで言われるようになった[2]。
“80後”は改革開放政策実施後から続く日々の発展とともに成長してきた新しい世代である。30年前後の人生の中で目的達成の為にたゆまず努力してきた国の奮闘のすべてを目の当たりにしてきたのだ。“90後”との違いとして“80後”の彼らは、小さなころから祖国が立ち遅れ、困難に立ち向うところから見る間に今日の成功を収めるまでの全ての記憶を有しているということである。生活を取り巻く先端技術も無く、モノも単純な生活をすごせる程度しかない、今となっては貴重で特別な子供時代から、中国における情報新時代に突入し、真っ先に新しい物事に触れられるようになり、21世紀における個性的な一世代の第一陣となった少年時代を経て、今では民族の栄誉や国家の行く末について考え、日々社会的責任を負うものとして成熟している一世代となっているのである[3]。
“80後”の現状
何かと批判の的となってきた“80後”達だが、彼らは中国で現代的高等教育を受けた最初の世代であることに注意しなければならない。
1970年代まで、ほとんどの中国人は教育を受ける機会を奪われていた。文化大革命で紅衛兵が学校制度を破壊し、1968年から10年間、約1600万人の若者が農村や辺境に下放された(上山下郷運動)。知識階級の子弟も下放された。大学は閉鎖され、知識階級が撲滅されたのである。しかし、改革開放後急速な発展を遂げてきた現在では、大学進学率は2003年で20%を超えている[4]。
しかし、低い就職率と不動産価格そして“70後”との女性争奪戦がこの世代が抱える主要な課題となっている。仕事を始めたばかりの彼らは収入が低く、その上物価の上昇により、望まずにして「月光族(収入をすぐ使い果たしてしまう人々)」となってしまっているのである[5]。また彼らはもうすぐ家庭を持つというプレッシャーにも直面しており、こういったプレッシャーが“80後”達を成熟させている。
“80後”は2010年代において働き盛りの年齢であり、徐々に各職場においても責任あるポストに就くようになったため、次第に理性的になってきた。また“80後”はインターネット利用者が多く、最先端技術で時代をリードする存在になっているとの評価もある[6]。
- ^ 『「80後」ってナニ? 知らなきゃ損する中国の常識』「Wu Yuの中国版“新人類”とうまく付き合う方法:」Business Media 誠、2011年6月28日配信
- ^ a b 『80后定义』搜狐焦点网、2009年9月6日配信
- ^ 『80后创业:起步月收六万』世界创业实验室、2011年5月10日
- ^ 『80后创业:起步月收六万』『中国の新世代「80後世代」の実力』野口悠紀雄、週刊東洋経済2011年2月5日号
- ^ 『不得不说 那些感慨80后世界的虚拟与现实』体坛网、2011年7月24日配信
- ^ 「上海“80後”女性が話す、上海の女性はちょっとうるさい?」サーチナ・ニュース、等身大の80後インタビューなど。2011年8月18日配信
- ^ 『80后奔三状态调查 三成单身四成无房七成无车』勝訊網、2011年4月7日配信
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