1965年のJSL 1965年のJSLの概要

1965年のJSL

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/06 06:20 UTC 版)

日本サッカーリーグ(JSL)
シーズン 1965(第1回)
優勝 東洋工業
試合数 56
ゴール数 216 (1試合平均3.86)
得点王 野村六彦(日立本社)
合計観客動員 133,400人
平均観客動員 2,382人
1966

6月6日の開幕カードは、東京駒沢陸上競技場での日立名相銀古河三菱のダブルヘッダー、刈谷刈谷市営競技場での豊田東洋大阪靱蹴球場でのヤンマー八幡となり、日立対名相銀戦が他会場に先駆けて行われた。

リーグ戦の開催には東海道新幹線開通による旅行時間の短縮が大いに助けとなったが、環境面の整備は遅れ、関東近郊では1964年東京オリンピック開催の為に新たに建設されたスタジアムでの試合が行われたが、刈谷では野球場、名古屋では鶴舞公園、広島では広島県立国泰寺高等学校のグラウンド等が使用されていた。

また、従来は白か茶色の単色の公式球を使用していたが、後期戦から現在でも馴染みの白黒ボールが公式球として使用され話題となった。

優勝は東洋工業蹴球部が開幕以来無敗の14勝2分で初代王者となった。




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