1925年全仏選手権 (テニス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/03 10:13 UTC 版)
1924年までの全仏選手権
出場資格がフランス人選手のみに制限されていた1924年までの全仏選手権は、多くの点で歴史的な調査が困難になっている。
- 男子シングルスは1891年、女子シングルスは1897年に第1回の競技大会が始まったが、初期の優勝記録表の大半は選手のフルネームや決勝戦の試合結果が残っておらず、時には準優勝者の名前さえ欠落していることがある。(例:1900年代)
- ダブルスの場合、記録は優勝ペアしか残っておらず、準優勝ペアも試合結果も全く残存していない。
テニスグランドスラム大会の公式な優勝記録には、国際大会化された1925年以後の記録が記載され、1924年以前の記録は除外されることになった。大半のテニス文献でも、全仏選手権は1925年以後の記録のみを掲載している。全仏選手権(現在の全仏オープン)年度別記事の外部リンクで使用しているPDF形式の抽選表も、大会公式サイトは1925年以後のものを提供している。
- フランス人の名選手で、男子のアンリ・コシェ(1922年)、ジャン・ボロトラ(1924年)、女子のスザンヌ・ランラン(1920年-1923年)は1925年以後も優勝があり、国際大会化の前後の時代をまたいで優勝しているが、ここに列挙した1924年以前の優勝は彼らの「公認優勝記録」から除外して数える。
大会の流れ
- 男子シングルスは「61名」の選手による6回戦制で行われた。シード選手は16名で、第1・第2シードを含む3人の選手に「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。
- 女子シングルスは「34名」の選手による6回戦制で行われた。シード選手は8名。2人の選手を絞り落とすため、1回戦は2試合のみ実施し、他の30名は2回戦から出場した。
シード選手
男子シングルス
- パトリック・スペンス (3回戦)
- ジャン・ワッシャー (ベスト4)
- ジャン・ボロトラ (準優勝)
- F・レストレポ (3回戦)
- ルネ・ラコステ (初優勝)
- シャルル・エシュリマン (2回戦)
- ニコラス・ミシュー (3回戦)
- シドニー・ヤコブ (ベスト4)
- ジャック・ブルニョン (3回戦)
- アンリ・コシェ (ベスト8)
- ポール・フェレー (ベスト8)
- アントワーヌ・ジェンシアン (2回戦)
- エドゥアルド・フラッカー (ベスト8)
- レオンス・アスラングール (3回戦)
- ライムンド・モラレス (3回戦)
- アンドレ・ゴベール (ベスト8)
女子シングルス
- スザンヌ・ランラン (優勝、国際大会化前から数えて5度目)
- イボンヌ・ブルジョワ (3回戦)
- キティ・マッケイン (準優勝)
- シモーヌ・パスマール (ベスト8)
- ヘレーネ・コントスタブロス (ベスト4)
- マルグリット・ビロー (ベスト8)
- ジュリー・ブラスト (ベスト4)
- ジャンヌ・ボサール (3回戦)
大会経過
男子シングルス
準々決勝
- シドニー・ヤコブ vs. アンドレ・ゴベール 2-6, 2-6, 6-4, 7-5 (途中棄権)
- ルネ・ラコステ vs. エドゥアルド・フラッカー 6-4, 7-5, 6-2
- ジャン・ボロトラ vs. ポール・フェレー 1-6, 6-3, 6-3, 6-2
- ジャン・ワッシャー vs. アンリ・コシェ 8-6, 8-6, 6-4
準決勝
女子シングルス
準々決勝
- スザンヌ・ランラン vs. イブリン・コリヤー 6-0, 6-2
- ヘレーネ・コントスタブロス vs. シモーヌ・パスマール 7-5, 6-3
- キティ・マッケイン vs. マルグリット・ビロー 6-0, 10-8
- ジュリー・ブラスト vs. N・デスクレール 6-1, 6-2
準決勝
- 1 1925年全仏選手権 (テニス)とは
- 2 1925年全仏選手権 (テニス)の概要
- 3 決勝戦の結果
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