阪急1000形電車 (初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 04:15 UTC 版)
製造
1954年に2両ユニット2本の4両がナニワ工機で製造された[1]。
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竣工 | |||
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Mc | Mc | Mc | Mc | |
1000 | 1001 | 1002 | 1003 | 1954年11月[1] |
改造工事等
昇圧改造
神戸線の1500V昇圧に伴い、1000形は1968年9月に昇圧改造が実施された[13]。主電動機と主制御器はそのままに、2両の電動車を直列に接続した「おしどり方式」とし、発電ブレーキと余熱暖房は廃止、主抵抗器も強制通風から自然通風に変更された[13]。ブレーキはHSC電磁直通ブレーキとなり[6]、中間乗務員室の主要機器類を撤去して4両固定編成となった[13]。
1000形の制御器は試作要素が強く、他形式との併結も不可能であった[12]。また、ATSや列車無線の装備時には、当時中間に入っていた1001と1002には装備されず、実質的に中間車となった。
1010系への編入
1971年に電装解除、運転台撤去、台車交換および3扉化を実施されて付随車化の上で1010系に組み込み、1010-1000-1001-1011と1012-1003-1002-1013の編成で運用されることになった[6]。
1010系と床面高さを揃えるため、台車は京都線の1600系1650形より捻出のFS-311へ全車交換[13]、旧台車は810系の864 - 867に転用されている[1]。
運用
新造当初より4両編成で神戸線で運用されたが、昇圧後は今津線に移動した[6]。1010系編成への編入後は宝塚線で使用されていたが、1981年に1012Fが伊丹線に転属したのを皮切りに支線での使用が主体になり、冷房化は実施されず、甲陽線での使用を最後に1984年3月に廃車された[6]。
1000の前頭部が保存されている[6]。
コラボレーション
2019年7月7日より、人気絵本シリーズ『くまのがっこう』とのコラボレーション企画「えほんトレイン・ジャッキー号」が開始された[14]。展開されたコラボ商品及び絵本には、ラッピングの対象となった1000系(2代)ではなく、本形式が描かれた[15]。キャラクターとのコラボ商品は、基本的に最新の車両が起用される中、引退して久しい車両の起用は初めてとなった。
- ^ a b c d e f g h i j 山口益生『阪急電車』108頁。
- ^ a b 『私鉄の車両5 阪急電鉄』120頁。
- ^ a b c d e 篠原丞「初代1000系シリーズの軌跡」『鉄道ファン』2014年2月号、115頁。
- ^ 『日本の私鉄 阪急』1998年、23頁。
- ^ a b c d 篠原丞「初代1000系シリーズの軌跡」『鉄道ファン』2014年2月号、114頁。
- ^ a b c d e f 山口益生『阪急電車』109頁。
- ^ レイルロード『阪急1000初代 -車両アルバム31-』裏表紙裏。
- ^ 橋本雅夫『阪急電車青春物語』、草思社、208-209頁。
- ^ a b c d e 篠原丞「初代1000系シリーズの軌跡」『鉄道ファン』2014年2月号、116頁。
- ^ ただし、抵抗器の廃熱を暖房に活用するという試みは失敗に終わっている。他社では、東芝のMCM系制御器を使用した東急5000系(初代)や阪神5001形(初代)でも同様の試みがなされたが失敗に終わっている。
- ^ 『私鉄の車両5 阪急電鉄』129頁。
- ^ a b 篠原丞「初代1000系シリーズの軌跡」『鉄道ファン』2014年2月号、117頁。
- ^ a b c d 篠原丞「初代1000系シリーズの軌跡」『鉄道ファン』2014年2月号、122頁。
- ^ 「えほんトレイン ジャッキー号」運転
- ^ イラストでも、1010系列ではなく本形式特有の屋根形状となっている。
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