西成量 『日本渡航記』における記述

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西成量

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 06:51 UTC 版)

『日本渡航記』における記述

西吉兵衛の人となりは、嘉永6年(1853年)のロシア使節に同行したイワン・ゴンチャロフの『日本渡海記』に記されている。外見については、「彼はでっぷりした丸顔で、すべての日本人と同じく赤味はないが浅黒く、上の前歯がひどく出っ張っていた。歯が出ているので仕方がないのだろうが、彼はたえず微笑しているかのように見える。彼はとても敏捷で、せわしげであった。」と記されている[5]

川路聖謨は『長崎日記』で「才気は栄之助に及ばずといえども、通弁の事は近世希なるものの由」と記しているが[6]、『日本渡航記』ではこの点が強調され、「彼には新しいものへの老化した憎悪はないが、さりとて日本の制度を改正する信念もなく、新しいものを追求する気力に乏しい。彼はひたすら俸給のために勤めていて、八方美人である。」[7]、(異国人について)「何一つ考えていない。日本を取られようと取られまいと、彼には同じことなのだ。」[8]などと記されている。また、前著『オブローモフ』の主人公に似た怠惰な人物として描かれ[6]、副官コンスタンチン・ポシェットロシア語版が「なぜ英語を勉強しないのか」と尋ねると、「どうしてオランダ語など学んだのか残念でござる」「手前は何もせず臥せているのが好きでござる」と答えたとされる[9]

しかし一方で、『トンケル・クルチウス覚え書』には対外交渉の公務に忙殺される様子が記録されているほか、上述の通り英語の学習に関わった経歴があり、『渡航記』の記述は割り引いて読む必要がある[1]


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 石原 2003.
  2. ^ a b 西記志十”. ふるさとの先人たち. 武雄市歴史資料館. 2017年4月18日閲覧。
  3. ^ ボンベカノン - 文化遺産オンライン文化庁
  4. ^ レートダラート - 文化遺産オンライン文化庁
  5. ^ ゴンチャローフ 1969, pp. 209–210.
  6. ^ a b 沢田 1995, p. 94.
  7. ^ ゴンチャローフ 1969, p. 284.
  8. ^ ゴンチャローフ 1969, p. 235.
  9. ^ 高野 & 島田 1969, p. 309.
  10. ^ 沢田, p. 94.
  11. ^ a b c d e f g h 石原 2007, pp. 36–41.


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