自由民主党の派閥 衰退と解消の動き

自由民主党の派閥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/01 14:33 UTC 版)

衰退と解消の動き

結党以来、派閥の弊害が指摘されており、1963年10月の「三木答申」により穏やかな派閥解消が成立するか注目されたものの、当時の池田勇人総裁は自由民主党史上初めてとなる試みを受け流した格好となり、結局派閥解消には至らなかった。その後、1977年3月の福田赳夫総裁下と、1994年河野洋平総裁下での野党時代に派閥解消は行われ、各派が派閥の看板を降ろし、マスコミでも「旧○○派」の通称に統一された。しかし、実質的には派閥は連綿と存続しており、派閥活動が公然と行われて総裁選挙に影響を与えた[5][6]

脱派閥を訴えた小泉純一郎も、実際には生粋の派閥政治家だとする評価があり、出身派閥の森派を厚く遇し、長年対立関係にあった橋本派を冷遇した。しかし、自由民主党内における派閥は本来中選挙区制を前提にできており、現在の小選挙区比例代表並立制では必ずしも機能していない。一方で、小選挙区比例代表並立制においては党執行部や選挙の顔である総裁の役割が拡大し、派閥は徐々に変質しつつあるとも言われる。

第45回衆議院選挙では自由民主党が大幅に議席を減らしたため、派閥そのものが衰退する可能性もあり、実際に各派閥で退会者が相次いだ。2009年高村派を退会して「のぞみ」を立ち上げた山本有二は、派閥が昼食を食べるサロンになったと批判した。2010年になってからは、新党結成や公認争いを巡って離党者に歯止めがかからず、派閥の退会にもつながっている。鳩山邦夫藤井孝男小池正勝らの離党によって、どの派閥にも属さない「無派閥」議員の人数が33人と、額賀派を抜いて自由民主党内の第二勢力となった。2011年には無派閥の議員が48人となり、自由民主党内の第一勢力となる。




注釈

  1. ^ 旧渡辺派」と「村上派」、「旧加藤派」と「小里グループ」などがこれに当たる。
  2. ^ 大平正芳の死去による「旧大平派」、渡辺美智雄の死去による「旧渡辺派」、河本敏夫の政界引退による「旧河本派」、小渕恵三の死去による「旧小渕派」、加藤紘一倒閣運動による「旧加藤派」、橋本龍太郎の派閥離脱による「旧橋本派」、亀井静香の離党による「旧亀井派」、堀内光雄の離党による「旧堀内派」などがこれに当たる。一方で、第43回衆議院選挙で落選した山崎拓は非議員のままで山崎派会長を務めたものの、この時における通称は総じて「山崎派」のままだった。

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