王水堂薬品 概要

王水堂薬品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 03:26 UTC 版)

概要

  • 明治37年5月初代・長谷川長之助が「長谷川王水堂薬局」として松江市殿町で創業。
  • 社名となっている「王水」には、塩酸(三容)と硝酸(一容)の混合液で、酸単独では絶対溶けないとされている金・白金を溶かす力を持っている。しかし、長く保存すると組織変化をおこす性質がある。つまり、会社を構成している各個人が、その能力育成に努め、これを秩序ある組織の中で発揮し合うと極めて強い力となる。また、その力は社会にとって貴重で有用な存在にならねばならない。しかし、その力も放っておくと弱体化してしまう。常にマンネリ化を排し、時代の変化、要請にこたえる発展(創造)を追求していくことを願ってつけられたものである。
  • 昭和23年1月、2代目社長・長谷川敬三が「王水堂薬品株式会社」を設立。昭和29年殿町に鉄筋コンクリートの本社ビルを建設。当時としては「日本銀行」「山陰合同銀行」に並ぶ建物であった。昭和37年、業務拡張として全国的にゴルフブームとなった時期に山陰で初めて本格的なゴルフ場・松江カントリー倶楽部を建設する。
  • 王水堂が販売テリトリーを拡大したのは、昭和30年「米子出張所(米子支店)」開設に始まる。39年には「浜田出張所(浜田営業所)、41年「鳥取出張所(鳥取営業所)」、42年「出雲出張所(出雲営業所)」、43年「倉吉出張所(倉吉営業所)」51年「益田連絡所(益田営業所)」を開設し山陰両県全域に営業圏を拡大、さらに45年「広島出張所(広島営業所)」、56年「萩営業所」、58年「山口出張所」、平成1年「津山営業所」を開設し山陰から中国5県全てに進出した。
  • 昭和44年3代目の社長に就任した長谷川浩は、なによりも地域貢献として島根県血液センターから委託され、昭和51年4月より血液輸送開始する。松江・出雲・浜田・益田の4営業所に1台ずつ配備し、24時間体制で業務にあたった。輸血輸送はストレートに人命にかかわるだけに社員は神経をつかった。「すべての人の願いである尊い生命を守る」が同社の使命としていた。
  • 昭和54年からコンピュータによるオンラインシステムを導入し、全ての支店・営業所・出張所を端末機を設置し、商品管理、納入、仕入れなど一括して松江市の本社で把握していた。



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