沙田区 住宅

沙田区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/10 18:50 UTC 版)

住宅

沙田区は主にニュータウンを中心とする住宅地となっており、香港で最も人口が多い。現在の人口はおよそ64万人であるが[6]、最終的には70万人が収容できるよう計画されている。人口のおよそ65%が、城門川から両岸の山の中腹にかけて、平坦な場所に主に分布する公営住宅に居住する[6]。また、ニュータウンの境界付近には原居民の暮らす48の村があり、ここに2万9千人が居住する[6]

公営住宅

沙田区の開発に際して、香港住宅委員会は1970年に公営住宅の建設計画を策定した。最初に完成したのは、港鉄沙田駅近くにある瀝源邨であり、1976年に7棟の長方形集合住宅が置かれた。2番目の禾輋邨は1979年に完成、現在では沙田最大の人口を抱えている。また、水泉澳邨は沙田最大の戸数をもつ。現在、沙田には香港住宅委員会の賃貸型公営住宅が22棟、香港住宅協会のものが1棟存在する。

公的分譲住宅

香港住宅委員会は、公営住宅と同時に公的分譲住宅も建設した。火炭の中腹に位置する穗禾苑は、沙田で最初の公的分譲住宅であり、1983年に完成した。また、民間による区内最初の公的分譲住宅団地は海福花園で、1985年に入居開始した。馬鞍山・烏渓沙には香港最大の民間住宅である富宝花園があり、総戸数は4,200戸である。現在、沙田には、公的分譲住宅として、18の公営住宅と7の民間住宅が存在する。

民間住宅

多くの公営住宅が建設されるなか、大型の民間住宅として、1981年に沙田第一城が完成した。区内にはほかにも、銀禧花園、駿景園、新港城、富豪花園、名城といった大型の民間住宅が存在する。

原居民居住村

排頭村

沙田には原居民の住む村が48存在し、約2万9千人が居住する。沙田の村同士の協力を促進することを目的として、沙田九約という組織がつくられている。このなかで、大囲村は最も古く、1547年に設立された。ここでは「韋」という姓が多く、彼らは韓信の子孫だともいわれている。田心村も明代末期に建てられた古村の1つである。

第二次世界大戦後、沙田九約の業務を執り行う沙田郷公所が設立された。1978年には、沙田郷事委員会に改名され[1]、現在は排頭に事務所を置き、郷議局のメンバーにもなっている。


  1. ^ a b c d e f 《沙田社區網絡》,(1998年,沙田臨時區議會)。
  2. ^ 大公報, 1976-06-17第5頁
  3. ^ 香港工商日報, 1978-08-26 第1頁
  4. ^ 香港工商日報, 1978-10-03 第7頁
  5. ^ 華僑日報, 1980-03-05 第11頁
  6. ^ a b c 沙田區議會網頁 (2006年6月19日). “沙田區特色”. 2007年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月9日閲覧。


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